福貿会ゴルフコンペ

去る4/20(火)、糸島市の「芥屋ゴルフ倶楽部」におきまして、「第77回福貿会ゴルフコンペ」を開催しました!当日朝は雲一つない信じられないような青空が広がり、緑豊かなコースの風景と相まって、とても爽快でした。
会員様総勢38名にご参加いただきまして、爽やかな春の日差しの下、皆さまにゴルフの醍醐味を存分に楽しんでいただけたのではないかと拝察します。
次回は10月頃開催の予定ですので、今回ご参加いただけなかった会員様も、是非ご検討ください!

追伸:当日朝は02:30に目が覚めまして、日中、とても眠かったんです…。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
コース情景②

事務局長に着任しました!

福岡貿易会ブログをご覧の皆さま、初めまして。
前任の森に代わりまして、4/1付で事務局長に着任しました渕上と申します。
前職は福岡市水道局で、料金収入計算やお客さまサービス向上などに
従事しておりました。
貿易関係は本当に久方振りで、20年前に在京の国際機関でアセアン地域向け貿易振興に携わったことがあります。
その後、帰福してしばらくは「福岡国際見本市」開催にも従事していました。
微力非才の身ではありますが、皆さまのお役に立てるよう努めて参りますので、
ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。IMG_0183(渕上)

福岡貿易会オーストラリア・ニュージーランド経済ミッション報告

経済成長と人口増加が著しいうえに大都市の住みやすさの面でも評価の高いオーストラリア、そして近年新技術のスタートアップが盛んで世界で最もビジネスしやすい国と言われるニュージーランド。福岡貿易会では創立60周年記念事業として2018年11月13日から23日の日程で、土屋団長以下総勢24名で両国に経済ミッションを派遣した。その様子をお伝えしたい。

〇オーストラリア・シドニー

11月13日夜、福岡から台北経由で豪州に向け出発。翌14日昼シドニー到着後、ダーリングハーバーのコンベンションゾーンと親水空間の整備状況を視察し、夕方から現地日系企業4社との意見交換会に臨んだ。農業分野、物流、都市開発、住宅設備関連の各分野の現地事情を伺ったが、各社共に豪州市場の成長ぶりに魅力を感じ、事業拡大のチャンスとみている。その後、湾岸エリアのバランガルー地区を視察した。ここではシドニー最大の再開発事業(22ha)が進行中で近未来デザインのオフィスビルや商業施設が建ち並び、すでに注目スポットになっている。地下鉄整備も含め再開発事業完了の2024年には都市の形が大きく変わることだろう。

開発が進むシドニー・バランガルー地区

開発が進むシドニー・バランガルー地区

翌日は朝からジェトロ・シドニー事務所を訪問し、中里所長より豪州経済情勢に関するブリーフィングを受けた。豪州経済は1991年から27年連続で成長中。人口は3年ごとに100万円増加、うち移民が6割。5大都市に人口が集中して都市問題が発生し移民を少し絞る動きがあるが、長期的に人口増加が見込まれる成長市場である。物価は高いが最低時給も19豪ドル(約1570円)と高い。他民族国家で英語が十分に話せなくても寛容な社会に高い給料。豪州に移民が集まる状況も頷ける。

その後、会員企業㈱プレナスの現地法人プレナスAusTを訪問し、ディレクターの岡氏に豪州での事業展開を伺った。現地では定食類が好調でありYAYOI(日本では「やよい軒)」の出店を加速する方針という。同社では精米したての米をわざわざ日本から輸入しているが、これは豪州で和の食文化を伝えるための使命と考えているとのこと。米食文化のない豪州に「持ち帰り弁当」を広めようという同社のチャレンジを応援したい。

午後からはシドニー中心部にあるビール工場跡地の再開発事業「セントラルパーク・プロジェクト」の現場を視察した。同プロジェクトは積水ハウス㈱とシンガポールの大手デベロッパーが2010年から取組み今年事業が完了した。中心に大きな公園を配置しそれを囲むように建物が置かれ、電気と温水の自家供給施設や汚水・雨水のリサイクルシステムの導入、歴史的建造物はリノベーションして活用するなど洗練されたデザインと環境配慮を両立させている。メインビルの「ワンセントラルパーク」は壁面緑化、空中庭園、巨大反射板などインパクトのある建物で、マンション、オフィス、商業施設等が入居。マンションの一室を特別に見せてもらったが価格は60㎡で1億円。ほぼ完売とのこと。管理費も周囲の2倍ながら住人の満足度は高いという。

現在シドニーの人口は約500万人。2050年には800万人に達するとの試算もある。市街地の活況な開発状況を見てそれも納得。

〇オーストラリア・メルボルン

世界一住みやすい都市との評判が高いメルボルン。英エコノミスト誌調査で2011年から7年連続首位を獲得し、人口も将来的にシドニーを抜いて豪州第一の都市になると言われている。そのメルボルン市街から東へ170kmの地点にあるラトローブバレーは褐炭の産地。褐炭とは若い石炭のことで自然発火しやすく輸送が困難のため、従来採掘地でしか利用されてこなかった。この褐炭から水素を取り出して日本へ運ぼうというのが日豪間国家プロジェクトの「褐炭水素サプライチェーン・プロジェクト」である。我々は11月16日朝からラトローブバレーを訪問した。

ラトローブバレー褐炭露天掘現場。4.5km☓2.5kmでダムのような大きさ

ラトローブバレー褐炭露天掘現場。4.5km☓2.5kmでダムのような大きさ

現地では川崎重工業㈱ほか日系4社と豪州の電力会社AGLエナジーがコンソーシアムを組み商用化実証を進めている。計画ではラトローブバレーのロイヤン発電所敷地内に水素製造プラントを設置し、ここからメルボルン南東のヘイスティングス港へ水素ガスを陸上輸送する。同港の液化貯留プラントでは水素ガスを-253℃の超低温で液化させ、専用運搬船に積み込み日本へ運ぼうというもの。東京オリンピック開催の2020年度に実現性を技術実証する予定で進められている。豪州政府では関連して、CO2を豪州東海岸沖合の地中に埋めるCCS(CO2回収貯留)プロジェクトを進めており、両プロジェクトを組み合わせることでCO2フリーの水素ができることになる。視察を通じて日豪両政府の本プロジェクトへの意気込みが伝わったとともに、水素社会の到来が間近に迫っていることを実感した。

午後からはメルボルンのスタートアップ支援に関する調査のため、支援拠点の一つであるGoods Shed Northを訪問。入居する支援機関や支援先企業に話を聞いた。

「The Actuator」は医療技術(MedTech)のスタートアップ育成支援を行う非営利組織でCEOのバズ・パーマー氏自身が医師。毎年最大40社に1社あたり最大20万豪ドルの投資と15ヶ月間の集中支援などを行っている。支援先の一つ、LENEXA MEDICAL社はスマートシートという医療用ベッドシーツを開発。豪州では入院患者に床ずれができると病院に罰金が科せられ、その治療でさらに4日入院、国全体で年間20億ドルもの損失となっている点に着目した。患者個人の体重や病状等をデータ入力して床ずれを予測するため目視不要となり看護師の労力削減にもつながっているという。医療現場での小さなアイデアの種をうまくビジネスに結びつけている様子が伺えた。

「Sprout X」は農業技術(AgTech)のスタートアップ育成機関。支援先の一つが豪州最大の昆虫タンパク質製造会社に成長。その商品である粉末コオロギのチップスを試食したところ普通に美味しかった。欧米では昆虫粉末製品開発が進んでいるらしく、日本でも当たり前に食べる時代が来るのかもしれない。このほか、フィンテック開発を支援する非営利組織「Stone & Chalk」、ビクトリア州政府のスタートアップ支援機関「LaunchVic」など各分野の支援機関が同居し、連携による相乗効果を狙っている。

Goods Shed Northは築100年を超える鉄道施設をリノベーションして蘇った施設

Goods Shed Northは築100年を超える鉄道施設をリノベーションして蘇った施設

当日夜は、在メルボルン日本国総領事館主催の交流会にお招きを頂いた。川田首席領事より現地総領事館の取組について話を伺ったほか、豪州三井物産CEOで元在福岡豪州総領事のウェンディ・ホルデルソン氏をはじめ現地企業数社が参加する中でビジネス交流を行った。

メルボルン滞在中は市内各所を見て回ったが、歴史的建造物に新しい建築物が融合した街並みは美しく、住んでみたいと思わせる街だった。少し足を延ばせば豪州有数のワイン産地であるヤラ・バレー、ペンギンパレードで有名なフィリップ島など観光資源としての見どころも多い。市内中心部ではトラムが碁盤の目のように走っていて、それが無料で乗り放題!という大胆な政策がとられている。これも世界一住みやすいと言われる由縁だろう。観光客にとってはうれしい限りだが運営費は住民の税金で賄われているわけで、一種の社会実験でもある。

メルボルン市内では無料トラムが碁盤の目のように走っている

メルボルン市内では無料トラムが碁盤の目のように走っている

ニュージーランド・オークランド

豪州メルボルンからNZオークランドへ移動。11月19日朝、ジェトロ・オークランドの奥所長にニュージーランド経済情勢に関するブリーフィングをお願いした。同国経済は安定成長を維持しており、先進国の割には農林水産業に依存、移民受入に積極的で人口増加が続き、対中・対アジア経済への依存が高まっていることなど豪州との共通事項が多い。CPTTP、ラグビーWC、東京オリンピック開催等で日本への関心が高まっているとのことであった。

その後、オークランド市のスタートアップ支援の拠点「Grid AKL」を訪問。現在3施設あり、それぞれコワーキングスペース、イベントスペースのほかラウンジやカフェなどを併設。あわせて約130社のベンチャー・中小企業が入居し、オークランド観光イベント経済開発局(ATEED)がトレーニング、メンタリングなどのビジネス・サポート・プログラムを提供している。入居企業のGustav Concept社ではシェアオフィスなど柔軟な作業環境で働く人向けのポータブルオフィスツール箱「Gustav」を製作。パソコンやペンの出し入れや作業がしやすいのが特徴で、アディダス社の上海拠点に販売が決まっているという。好きなところでどこでも仕事。働き方が変わる中で新たな発想が生まれてくるのだろう。

Grid AKLにて。ATEEDと入居企業より事業紹介

Grid AKLにて。ATEEDと入居企業より事業紹介

Grid AKLが立地する湾岸エリアの「Wynyard Quarter Innovation Precinct」には、IBM、MicrosoftなどIT関連大手が立地し、一体的にイノベーション地区を形成している。オークランドをアジア太平洋地域のイノベーションハブにしようと市が本腰入れて取り組んでいる様子が伺えた。

午後からは拡張現実と仮想現実の技術やサービスを開発する企業のための研究開発スペース「AR/VRガレージ」を訪問。施設内には撮影スタジオや音響ブース、プレゼン用のデモブースなどの機能を備え、ゲーム開発、画像・映画製作などのスタートアップが入居している。AUGVIEW社では地下に埋もれた配管やケーブルなどの敷設状況を視覚化するアプリケーションを開発。穴を掘ることなくGPSで1cm単位まで測定可能で、工事の際に既設インフラにダメージを与えず、作業者の安全確保にもつながる。またStaples VR社は360度の映像捕獲システムとリアリズムの高いVR映像を組み合わせた映像制作が強みで、映画「ミッション・インポッシブル/フォールアウト」のヘリコプター飛行シーンは同社が手掛けた。このほかにも、ショッピングや食事などを疑似体験しながらその国の言葉を学ぶVR言語学習ソフト、AR+VRの複合現実感(MR)が得られるデバイスなど入居企業の開発製品の話を聞いた。

ARといえば少し前に流行ったポケモンGOが思い浮かぶが、今ではCGで創られた人工物に触れたりそれを動かしたり、質感や温度を感じたりする技術も開発されており、だんだん仮想と現実の境界がなくなってきている。商用化が進めば従来の仕事のやり方、日常生活までが大きく変わっていくのは間違いない。

AR/VR Garageにて。入居企業の事業説明

AR/VR Garageにて。入居企業の事業説明

夕方からは、経済界の2国間協議の場である「日NZ経済人会議」の歓迎レセプションに出席した。NZ側からはイアン・ケネディ委員長(元駐日大使)、オークランド市のフィル・ゴフ市長他が出席。開会スピーチでは両氏ともに当会訪問団の出席に触れ、歓迎の言葉を頂いた。日NZそれぞれビジネスパーソンとの交流を果たし、有意義な会となった。

ニュージーランド・タウランガ

11月20日は、オークランド市内のデボンポート歴史地区の視察組と、キウイフルーツで有名なゼスプリ・インターナショナル社のあるタウランガ視察組の2手に分かれた。以下はタウランガ視察の記録。

北島中部タウランガはベイ・オブ・プレンティ地方の中心都市。国内のキウイ栽培地の8割がこの近辺に集中している。始めにゼスプリ本社を訪問した。同社は輸出向けキウイを独占的に扱う企業。生産者約2,500名が株主で市場調査、研究開発、品質基準の管理などを行っている。栽培から消費者に届くまでの情報はトレーサビリティが確保され、市場調査の結果を生産者に伝えて商品作りに反映させている。利益は生産者に還元し、良い商品を作れば余計に報酬が得られる仕組みという。キウイの収穫期は3月末頃。日本では他の時期でもゼスプリキウイが食べられるが、これはキウイを冷蔵保管し出荷時期をずらして北半球の市場に投入しているため。同社では北半球での生産拠点を増やし年間を通じて供給できるシステムづくりを進めており、提携先を幅広く探している。

その後、選果業者のMPAC社を訪問。同社は国内に7社あるキウイ選果企業の一つで、生産者から持ち込まれたキウイをゼスプリの基準に沿って選果から出荷までを請け負っている。選果場では自動選別機が毎分300個のキウイをチェック。不良品の多くがここではねられる。最後に人の手によるチェックと箱詰めが行われ、クールルームで冷蔵保管。市場への投入時期を見て出荷される。同社では国内外での農園経営も手掛けており、日本では愛媛県と宮崎県に現地法人を設立してゼスプリ認可のキウイ作りを始めているとのことだった。

キウイ選果場での作業風景

キウイ選果場での作業風景

最後にキウイ果樹園を訪問して生産者に話を聞いた。キウイはデリケートな作物で種まきから収穫まで年間を通じて手間がかかり、特に11月は剪定作業で忙しいとのことだった。キウイの苗木はIoTにより温度や湿度が管理された専用のハウスで育てられ、散水や屋根の開閉などが自動的に行われていた。現地で特徴的だったのが防風林。キウイを守る城壁のように張り巡らされ、独特の美しい景観を構成していたが、今日ではコストが安く管理が容易な防風網に置き換えられつつある。

ちょうど食べ頃のキウイが日本の店頭に並ぶように逆算して生産から出荷まで厳しい基準で品質管理を行っている様子が今回の視察で見て取れた。また生産現場では最新技術による省力化が進んでいる一方でまだ人海戦術に頼らざるを得ない部分があり生産者の苦労も見えた。

タウランガでの視察を終え、オークランド空港でデボンポート視察組と合流。その後、次の視察地、南島クイーンズタウンに向かったのだが、悪天候で飛行機が着陸できず引き返す事態となった。オークランド空港に戻ってきたのは夜9時頃。市内のホテルの空きがなく、全員空港で一夜を過ごすという貴重な体験をした。これは当会始まって以来のことだろう。翌朝7時の振替便で再びクイーンズタウンへ。不安を余所にあっさり到着し、そこには昨夜の疲れが吹き飛ぶ絶景が待っていた。急な事態にも関わらず冷静に対応頂いた団員の皆様、そして迅速に動いてくれた西鉄旅行㈱のスタッフの皆様には心から感謝申し上げたい。

悪天候から一転、翌日天気に恵まれたクイーンズタウン

悪天候から一転、翌日天気に恵まれたクイーンズタウン

ニュージーランド・クイーンズタウン

クイーンズタウンはNZ南島、ワカティプ湖に面した風光明媚な街。世界遺産ミルフォードサウンドへの出発拠点として、また近年ではロードオブザリングをはじめ映画のヒット作のロケ地として知名度が上がっており外国人観光客の増加が著しく、それに伴い街の人口も急激に増加しているという。街を見下ろす展望台(標高800m)からの眺めが素晴らしい。SKYLINE社が市街地と展望台を結ぶリフトを運営しているほか、リュージュ・トラックやサイクリスト向けのバイクパークなどのアトラクションを整備している。リュージュは手軽に乗れて面白く、日本に持ってきても流行るのではと感じた。クイーンズタウンはバンジージャンプ発祥の地でもあり、様々なチャレンジが地域経済活性化に結びついている。

最終日の11月22日はオークランドに戻り、在オークランド日本国総領事館との意見交換会に出席した。菊池総領事からは現地の経済事情の他、2021年にはヨットのアメリカズカップ、APEC首脳会議がオークランドで開催されることや同国の環境先進国ぶり、電力供給の大部分を再生可能エネルギーで賄っている状況などの話を伺った。特に地熱発電技術は九州でも活用できると思われ、今後連携を期待したいとのことであった。このあとオークランド市内を視察し、当日夜に帰国の途についた。

今回経済ミッションではオーストラリア、ニュージーランドともに様々視察を行い、交流機会を多数設けて現地ビジネスパーソンに話を伺ったが総括して両国経済、まだまだ成長が続く勢いを感じた。

バルト三国はEUの東南アジア?福貿会北欧経済ミッション報告

福岡貿易会では、3月にはフィンエアー就航を記念したシンポジウムを盛会裡に開催したが、今回はこの便を実際に利用し、今後の国際ビジネスの振興に繋げるべく9月14日(水)から9月23日(金)にかけて、北欧を中心にした経済視察団を組んだ。その様子を簡単にお伝えしたい。

〇旅から始まるビジネス

さて、“経済視察団”とは何だろう。まあ旅行であることは間違い無い。もちろん単なる観光旅行ではないわけだが、実は観光と言うのは海外ビジネスの基本である貿易に直結する重要な営みなのだ。古来人間は未開の地を旅し、会ったことの無い人種や、見たことの無い食料・香辛料、貴金属などと出会い、自分の土地で取れるものと、余所の島で見つけたものを物々交換していた。たぶん。そして今や、世界は飛行機で結ばれ、物は貨物船で運ばれ、情報や金銭は電波や光ケーブルで一瞬にして世界中に行き渡るようになった。しかし、未だにその土地々々に固有の人々が住み言葉をしゃべり、独特の食事をとり、家屋に住み、歌を歌い、酒を飲み交わす。それぞれの文化があり、生活がある。「福島第一原発観光地化計画」を唱える評論家の東浩紀は、その著書「弱いつながり」の中で世界中誰でもどこへでも簡単に行ける現代だからこそ、軽い気持ちで余所の地を訪れる“観光”の重要性を説く。人は様々な目的で旅行に行く。そして、そこで過ごした全く異なる“環境”やそこに暮らし働く人々から聞く生の“ことば”そして見たことの無い景色や物と出合うことで、交流が始まり、商機を見いだし、新たなビジネスへと繫がる。かけがえのない旅の経験とそこで過ごした時間は、思考や思想に影響を与え,ビジネスはもちろん人生までも変えることがあるのだ。いやそもそも人は移動≒旅しなければビジネスどころか何の発見も出来ず、文明も生まれなかっただろう。だからこの旅には、そんなきっかけになる多くの環境、場所や人との出会い、食べ物や飲み物、そして現地でのみ可能となる圧倒的な体験と、それらを補完するレクチャー等の情報を準備した。

○タリン・エストニアでは、中世と最先端が同居していた。

タリンの商工会議所でのプレゼン&意見交換会

タリンの商工会議所でのプレゼン&意見交換会

さて、前置きがとても長くなったが、我々はまずフィンエアーの拠点ヘルシンキに飛ぶのだが、福岡直行便のフィンエアーは一言で言って“チョー楽ちん”である。これでヨーロッパの主要都市に最短の乗り継ぎで行けるなんて最高。エストニアのタリン行きは結構小さな飛行機だが飛行時間数十分と楽勝だ。エストニアからは、以前The Estonian Intellectual Property and Technology Transfer Center から多くのゲストが来福し、福岡で歓迎会等も行っていたため、彼ら等を通じていくつかの場所を訪問。まずはいわゆる商工会議所にある彼らの事務所で福岡でもビールを飲み交わした専務理事のマリウス氏にエストニア経済の最新動向をプレゼン頂く。余談だが彼らのビール好きは、来福時に超不便なトルコ航空を選んだ理由がビール飲み放題だったから、なんて話から知った。さらに余談だが、やけにガタイの良い来福スタッフの一人はバルト関の格闘技の弟子だ。閑話休題、エストニアの特徴は経済の自由度やビジネスのやりやすさ。例えば会社設立は海外からでも簡単に出来る。最短で20分以下という。法人税はなんとゼロ。またスカイプ発祥の地でIT先進国、特に日本で言うマイナンバー制度が、数十年先を行っており、医療情報はもちろんあらゆる個人情報がEガバメントで管理され、無駄なく有効に活用されている。そんな最先端の電子政府の様子は、エストニア政府が運営するe-Estonia で学べる。また、エストニア工科大学のイノベーションラボMektoryも訪問。ここは、ITやものづくりそして物流まで含めたあらゆる要素をぶつけ合い創造的なイノベーションを推進する場だ。世界中の企業が様々なプロジェクトに参加している。日本企業が極めて少ないのはわかっちゃいるけど残念。一方サムソンなんかはレクチャーが出来るほどの部屋まで提供し、最新製品の展示もぬかりない。こんな進んだ顔を見せるエストニアだが、実は最も大きな産業は、従来型製造業であり、その次が小売業・商業、不動産業と続く。大きく取り上げられるICT産業は、全体の6%に過ぎない。また2015年の実質経済成長率も1.1%と芳しくない。実際フィンランドとバルト三国をGDPで比較するとこんな感じだ。

SnapCrab_NoName_2017-9-25_14-55-27_No-00

 (HP「世界経済のネタ帳」より)

バルト三国間はほとんど同じと言えるが、海を隔てたお隣のフィンランドは、なんと3倍程度の差がある。バルト三国はEU先進国よりは、アジアの開発途上国マレーシアに近いと言える。ただし、実際に訪れてみるとやはりアジアというよりは、ヨーロッパの先進国に近い。検証はしていないが、アジア諸国は大都市と地方の格差が極端なことも影響していそうである。とにかくこのようなGDP格差があるのだが、最近はアジアの様な高い経済成長率に無いのは、EU全体の経済状況に大きく影響されているからだろうか。因みに都市の規模で見ると、ラトビア・リガ70万人、リトアニア・ヴィリニュス50万人、エストニア・タリン40万人、フィンランド・ヘルシンキ60万人と首都でもコンパクトだ。いずれも多くの首都が巨大都市となっているアジアとは様相が大いに異なる。バンコク800万人、クアラルンプール160万人、マニラ1100万人、ジャカルタ1000万人、ハノイ750万人。なんか全然桁が違う。大使館では、近藤一等書記官よりレクチャー。夜には近藤書記官と、なんと福岡から初めて飲食店を出店する会社PECと結FUKUOKA STYLEからお二人を招待し、エストニアでは数少ない(3店舗目)日本料理店開店直前(9月20日オープン)の意気込み等を伺った。

タリン旧市街の街並みは中世そのままだ

タリン旧市街の街並みは中世そのままだ

タリン工科大学産学連携イノベーション施設を見学

タリン工科大学産学連携イノベーション施設を見学

〇リガ・ラトビアは、文化と風格あふれるスウィートな街だった。

ラトビア政府による経済セミナー

ラトビア政府による経済セミナー

実は実際訪れるまでは、どんだけ田舎やろうか、リガとか。なんもないっちゃろうね~とすこし軽く考えていたが、実際に来てみるといやまあとんでもない。素敵で立派な街だ。確かに人口規模ではバルト3国最大、また飛び道具的な見物である、アールヌーヴォー=ユーゲントシュティール建築群(あの戦艦ポチョムキンのエイゼンシュテインの兄弟で建築家ミハイル・エイゼンシュテインが凄すぎ)もいかしてる。街中の公園もかなり立派で美しく、旧市街の風格ある街並みと石畳も見応えたっぷり。おまけに夜は繁華街がとても賑わっていて、都会の雰囲気もある。ここではまず、日本大使館で藤井大使からラトビアの概況をお話し頂いた。翌日はたまたま帰国していたラトビア投資開発庁の日本代表である、アリナ・アシェチェプコワさんに、ラトビアの経済、また日本との意外な関係等についてお話頂いた。この出会いをきっかけに今年2月には、ラトビアのセミナ-を開催した。

リガには特徴的なアールヌーボー建築が溢れている

リガには特徴的なアールヌーボー建築が溢れている

リガでは他に今やノルウェーの企業に買収されたRAIMA社のチョコレート博物館を視察。ここでも交通機関の自販機でも英語ロシア語ドイツ語の多言語対応が行き渡っているのは、小国ならでは。また必ずドイツ語があるのもこの国の歴史を感じる。バルト3国の市民はトリリンガルが当たり前と言うから驚きだ。歴史、建築、産業、文化そして観光とタリンに勝るとも劣らない魅力的な都市だ。

リガの菓子会社のプロモーションは既にグローバルレベルに洗練されていた

リガの菓子会社のプロモーションは既にグローバルレベルに洗練されていた

〇シャウレイ-カウナス-ヴィリニュス・リトアニアでは、意外な驚きにあふれていた。

過剰な集積により観光地化した十字架の丘

過剰な集積により観光地化した十字架の丘

リトアニアについては、今回は時間の都合などで、移動・視察のみとなったが、何も歴史的な由来のないと言われるシャウレイの十字架の丘が、いつの間にか増殖・拡大していき、今や国際的な観光地に成長している様子は、歴史や文化と観光の関係を再考するきっかけとなった。ご存知杉原千畝の元日本領事館は、ボランティアで細々と運営されている様子。杉原の英雄的行動は日本人としては誇らしいが、たまたま飛行機で席を隣にしたカウナス育ちでグローバルに活躍している風のおばさんに、杉原のことを尋ねたが全く知らなかったのは少々残念だった。結局日本で日本人だけが盛り上がっているのだろうか。威張り散らすのもどうかと思うが、ある程度の宣伝もまた交流のきっかけとしても重要と思うが。そしてヴィリニュスに近づくと、そこには予想外の景観が広がっていた。近代的なビル群にグローバル企業の看板。最も田舎と思っていたリトアニアが、ちょっとしゃれた大都会の様相だ。実は、バルト諸国のIT企業の多くがリトアニアに拠点を置いており、GDPの約25%、輸出額の約80%をIT、レーザー技術、バイオテクノロジ、ナノテクノロジ、およびマテリアルサイエンスが占める等、リトアニアは産業面ではかなり先進国。グーグルやナスダックも拠点を置く等グローバル企業からも注目を集めており、新産業分野でも目が離せない。さらに今回は時間の都合で視察的なプログラムは無かったが、早朝に街をふらりと歩いただけでも、タリンやリガよりも勝るとも劣らない、美しい街並みと多くの歴史遺産を抱え、観光地としても十分魅力的。本当にバルト三国からは目が離せない。

〇サンクトペテルブルグ・ロシアは、どっしりと広がる重厚な芸術の都だ。

最後に、ロシアだが、こちらもフィンエアー乗り継ぎで1時間程、本当に便利だ。一夜にして作り上げられたとは思えないほどの規模と威容を誇るこの巨大な文化・芸術の街は、サンクトペテルブルグ港という拡張中の物流拠点を擁する。この港の視察については、大したつても無かったため、最後の最後まで、難航したが、訪問前日にやっと安心できる受入回答をもらえたような状況で、やはりロシアとの交渉はひと味違った。港湾の利用状況は、貿易の落ち込みから、特にコンテナが少ない様でヤードはガランとしていた。ただし、最新のクレーン設備など今後に備えた投資も続けているとのことだった。またサンクトペテルブルグの総領事館では、ジェトロサンクトペテルブルグの宮川所長のブリーフィングの後、福島大使、佐藤経済領事との意見交換会を行った。

〇バルト三国はEUの中のアジア?

今回バルト三国を廻りその魅力に触れた一方、それぞれの国に、ロシア、ポーランド、ドイツ等の他国の侵略・蹂躙の歴史が刻まれ、その苦難が多様な文化の源にもなっていることを知った。他国からの侵略がほぼ皆無の日本人には想像だに出来ない、複雑な歴史を抱えた国民について考えを巡らせた。そして、実は考えてみると、少し前までのアジアにおける中国や、東南アジアの国々が、正にバルト三国ではないか、と思い至った。アジアで、日本が、中国や東南アジアを蹂躙したように、欧州で、ロシアやドイツ等が、バルト三国を侵略した。その後の関係性においても、実は低いGDPと安い人件費で、周辺のEU等の先進国が、バルト三国の人材を活用し、安い物価で旅行や買い物を楽しむ関係性は、正に日本と日本以外のアジア諸国の関係ではないか。そうして見ると、バルト三国に対する見方も少し変わってくる。おそらく常に周辺の強国に脅かされ、様子を伺いながらも仲良くやっていかざるを得ない。そんな難しい立場にあるのではないか。美しく伝統的で魅力あふれる街並みを散々楽しんだ末に、次回はもう少し歴史を学んで臨もうと反省した次第。

●福岡→バンコク→ホーチミン→明るい未来?

地方銀行である福岡銀行がホーチミンに駐在員事務所を設けることになった。その開所セレモニーへの出席を主な目的に、またこの機会に、成熟著しい東南アジアの経済状況・社会状況を調査するため、バンコクを経由し、東南アジアの様々な企業や経済団体などの話を聞き、また、実体験を通じて社会・経済の現状を体感した。今回はその訪問で強く感じた、未曾有のパワーと未来への希望をお伝えしたい。

●成熟したアジアの先進国際都市バンコクはいずこへ?

相変わらず暑い。福岡も暑いがこちらはさらにあらゆる意味であついのだ。僕が前回この地を訪れたのは、もう5年以上は前だったとは思うが、その時も想像以上に発展していた風景、特に新しくなった国際空港から夜の高速道路を眺めた景観が、ちょうど、映画「惑星ソラリス」で、当時世界の大国だったソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキーが日本の首都高速道路を、いかにも近未来的なイメージで捕らえたシーンとダブったものだ。今やいっぱしの先進国民となった僕の目にも、当時のタルコフスキーが東京に感じたがごとく、タイの高速の夜景は、未来都市のように映ったのだった。そして今回、僕が見たバンコクの姿は、もはや日本の一地方都市、福岡など遠く及ばないほどに、発展し、(行ったことはないけれど)まるでアジアのマンハッタン、セントラルパークとも思える場所となっていた。それはもう、夢のSF映画ではなく、あくまでも現実として、目の前にあった。具体的には、どんな国の食材でも多種多様な品ぞろえでしかも、美しくディスプレイされた、豪華なショッピングモールのフードコートや食品売り場の充実度であり、また、訪問した日系企業や経済団体の高層ビルの、最先端のセキュリティシステムや、洒落たオフィスからの眺め、豊かな緑にあふれた美しい公園の風景、そして道行く人々のダイバーシティ、世界中からこの地に訪れて来る様々な人々の姿だ。もうバンコクは僕らの想像を超えた、正真正銘の国際都市、メトロポリスになろうとしているように見えた。そう香港やシンガポールが、その地政学的な要因や、経済的、社会的に特異なポジションによって、突出した国際都市と変貌してきたように、次はアジアの中で、ある意味最も安定し成熟した状態にあるこのタイの大都市バンコクが、アジアビジネスの一大拠点として明らかに、浮かび上がってきている。

DSC_0620 DSC_0606 DSC_0625

高層ビルが建ち並び、大規模なショッピングモールでは、世界中の商品が何でも揃う。今やアジアの大都市となったバンコク。

 

DSC_0864 DSC_0859 DSC_0828 DSC_0810

オフィスビルは、IDが無ければ、エレベータにも乗れない最先端のセキュリティシステム。ビルからの眺めはニューヨークさながら。巨大デパートには高級レストランだけで無く、日本の半額以下で満足できる格安のフードコートもある。(バンコク)

●日本のアジア展開の要

今や上海に次ぐ、日本人コミュニティーが出来上がったバンコク。実は経済成長率だけを見ると、かなり鈍化しており、極端な高齢化の進展など不安要素も多く、またご承知の通り政治的にも不安定なのだが、それにも関わらず未だに日本からの進出企業が増えているという。今回訪問したバンコク日本商工会議所の会員も増加中であるらしい。もちろんその最大要因の一つは、中国経済の減速と、日中の政治・社会的対立問題だ。逆に言うと、このタイ王国における、親日感情は本当に申し訳ないほどに良く、この目に見えない感情というものが、いかにビジネスを行う上でも役に立つか、重要な要素となるかということだ。もちろん、時間をかけて整備されていた、数々のインフラ、例えば高架鉄道やバス路線、国際空港、高速道路、電気・水道等に加え、今回訪問調査した日本人専用窓口のある設備の充実した病院や、日本人向けも含めた各種飲食店、食材から日用品までなんでもそろうショッピングセンター等、先進国でもなかなか敵わない程の日本人向け環境が整っている。特に商業施設や医療設備に関しては、日本の地方都市よりよほど優れていると感じた。それに加えて、おそらく企業として魅力的なのがコストの低さだ。今回訪問したオフィスビルの家賃を訪ねた所、驚くほど安い。また生活費についても、ある程度現地に溶け込むことで、食費や交通費などの生活費もかなりセーブ出来る。これは香港やシンガポール、そして近年の上海に比較しても桁違いの低コストとなるだろう。もちろん低賃金の非熟練労働者を多数必要とするような、繊維・服飾業等の工場については、その多くが、中国から、ミャンマーやバングラデシュなどに移っているわけだが、すでに賃金レベルがかなり上がっているこのエリアでは、一定以上の教育レベルを必要とするエンジニアやIT技術者、さらには会計士やコンサル、法律家や研究者など、より高度な産業分野にシフトしていくことが期待されている。もちろんタイ王国の実態としては、首都から離れると、まだまだほとんどが農業従事者であり、低所得層が多く、今後益々経済格差の問題が拡大していくことは避けられないだろう。バンコクにおいても、宿泊したホテルの周辺エリアには、オフィス街や富裕者層向け病院ではまず見ることの無いような方々が暮らすちょっとした、貧民街とまでは言わないが、彷徨くのが躊躇われる街区がかなり広がっていたのも事実である。

そう。少子高齢化、都市への一極集中、高度知識産業志向、そして経済格差。実はいつの間にか、これら先進国の問題は、グローバル化の進展とともに、一気にアジアの発展途上国の問題にもなってしまっているのだ。

DSC_0794 DSC_0799 DSC_0772 DSC_0770

複数のカフェやレストラン、焼きたてパンのベーカリー、そして部屋に備えられたメニュー。これは全て病院の中だ。サミティベート病院は完全な企業体で、医師もこの会社に使用料を払う顧客。料金設定も医師毎に異なり完全な競争。最先端の設備を備え、日本人スタッフも数多く安心の体制だ。(バンコク)

●マイペンライ、バンコクなのか?

日本企業にとって、今やバンコクは最も重要なアジア拠点となっていることは、間違いない。香港が英国を中心とした欧米圏と中国に、シンガポールも欧米の進出が目覚ましい中で、タイ・バンコクはアセアン最大の日本進出拠点であり、タイにとっても日本は最大のパートナー国となった。今後さらに、両国の交流が進展していけば、成熟を極める自動車産業や電気業界だけでなく、現在進行中の各種インフラの整備や食品、農産品、そして今後は医療、薬品、研究などの高度知識産業の分野でも密接な関係が築かれていくことが大いに期待できる。アジアで最も密接に連携・交流を深め、成熟させていくべきエリアであろう。

DSC_0725 DSC_0723

洗練された高層ビルから一歩裏通りに入っただけで、こんなエリアが広がる。くず鉄等のスクラップ屋、薄暗い激安な飲食店等がゴミゴミとひしめきあう。オフィスビルや病院で見かける人々と明らかに異なる層の住民が行き交っている。(バンコク)

●喧噪の暴走族国家ベトナムは天まで届くのか?

DSC_0919 DSC_0967

バイクはここでは4人乗りまで大丈夫。ほとんどのエリアは、こんな感じで、今後2,30年でまだまだ大きく発展するだろう。そして4人乗りのバイクも徐々に自動車に入れ替わって行くのだろう。(ホーチミン)

ホーチミンも前回の訪問から10年近くたっただろうか。その時は、なんともまあ町中がゆるゆるのおっとり暴走族のバイクで溢れ、素人の道路横断なんて、ままならんような、とにかくそんな、鰯の群れ的バイク集団におののいた。そして今回、そのバイクの勢力が衰えた代わりに、多くの自動車が、しかもレクサスのような高級車までもが走るようになっていた。そしてなんと信号機なんかも増えて、まだまだ数少ないが素人でも轢かれる怖れなく渡れる横断歩道も発見。日本が停滞していた間も、世界は確実に変わっていたのだ!福銀のセレモニー会場は、ホテル日航ホーチミンの、最大の会場の様で、当初は大丈夫かと心配になったが、始まってみると、250人ものゲストで溢れかえった。九州・福岡のこの地域への注目度合いがうかがえる、熱気あふれる会となった。翌日、ホーチミン市民の誇りとなっている、ドバイの七つ星ホテルのミニ版のような、高層ビルから街を見下ろすと、現在工事中の、そして、これから開発される予定の広大なエリアが、サイゴン川向かいに開けており、ああ本当にこの町は、これから20年ほどで一気に変わっていくのだろうなあ、と言う実感を得た。自分が若ければ、こんなところでビジネスをすればあらゆる可能性がありそうだなあ。そんな無意味な想像が頭をよぎる。街を歩けば、まだまだ歩道も信号も少なく、おんぼろな食堂や商店が立ち並ぶ。一方で高級ブティックや瀟洒なカフェ、欧米資本のブランドが連なるエリアが次々に出現している。まだまだ貧しい市民も、どんどん上昇する収入への希望で、次々と目新しい商品を買い求め、結構高価だが、かなりまがい物の寿司にも喜んで大金を払う。まさに日本にもあった、高度成長期がいまここで展開されようとしている。すでにある意味で天国とそして今や煉獄を経験している、僕らだからこそ、この国で出来ること。ぼろ儲けだけはなく、我が国のそしてアジアの将来にとってプラスになることがまだまだたくさんある、そんな希望と可能性を感じた4日間だった。K.Y.

DSC_1097 DSC_1084 DSC_1049 DSC_0955

 

街の誇りの高層ビルからは、回りに建設中の多くの高層ビルと、対岸で開拓中の大規模な開発エリアが望める。数年で一気に景観が変わっていくのだろう。街やビルを建設する前に護岸工事をした方が良いと思うが。(ホーチミン)

福岡はほんとうに国際化しているのか?

●福岡の成功?

クルーズ船による外客数日本一!国際会議数は東京に次ぐ第2位、華々しいランキングで勢いづく福岡。以前にも本誌拙稿「ランキングワールド~アジアナンバーワン都市になるということ~」(2011年1月号)「成長する企業、競争する都市」(2013年冬号)の中でも、複雑化する時代におけるランキングの重要性や、都市プロモーションの時代の到来等について散々書き散らしており、その文脈からすると福岡市はまさにランキングやプロモーションにおいては大きな成功を収めており、喜び称えるべきことなのだろう。どうやって出したのかはわからないが、人口当たりの飲食店の数が世界都市の中で4位などというランキングの出し方も都市プロモーション的にはとても面白い。

昔は都市の比較は、日本の政令都市間での比較であり、その目的も横並びを目指すためであったが、今世紀に入った頃から、大企業のグローバル化に伴い都市の意識も徐々に世界に向くようになり、やっと国境を超えた都市ランキングが市民権を得だしたと言えるだろう。

福岡市のランキングや様々な比較データが紹介されたFukuoka Facts(http://facts.city.fukuoka.lg.jp/)等を見ていると、福岡市も随分と国際化したものだなあと感慨深くなる。

 

●グローバル都市福岡?

そんな中で、都市の国際化に長くかかわってきた僕にとって、最近ちょっと印象的な出来事が二つあった。まず一つは、福岡に進出したある企業の方から聞いた話だ。その内容は「福岡には、英語を使う仕事がなくて、英語が出来る人材が余っている。一方、東京には英語を使う仕事があふれていて、英語が出来る人材が足りない。だから彼の会社は、東京の会社から仕事を獲得し、福岡のオフィスで福岡の人材を使って業務を行っていく」といったこと。安い賃料と人件費で賄えるため、人手不足の東京で仕事をするよりも効率的・効果的であるようだ。主にHP等の翻訳業務だそうであるが、ネットがあるからこそ成り立つビジネスだろう。そして彼らにとって極めて自明なことなのだが、なぜ福岡に英語の仕事が無いかと言えば、それは単純に外資系企業が全く無いからだと言う。もちろん、日本企業であっても、外国語の仕事はあるのだろうが、結局主要言語が外国語である会社と日本語だけを使っている会社では、その業務における外国語の活用頻度は全く違うのは当然であろう。

そしてもう一つは、当会のスタッフから得た情報だ。彼女は以前外資系の航空会社に勤めており、福岡にも勤務していたのだが、2000年代初頭には、福岡にも最高約30社の航空会社の事務所機能があったようで、そのほとんどが外資系だった。しかし日本の国力の相対的低下と歩を同じくするように、みるみるうちに撤退し、今や外資に限ればほぼ半減といった状態である。もちろんこれは、航空業界のトレンドや、グローバル企業の合理化の一環と捉えれば、それだけの事だが、国際化を推進しているつもりだったのに、気が付いたら実は国際化が遠のいていたようで、なんとも寂しいものだ。実際名実ともに国際都市である東京には、多くの外資系航空会社が集積しているわけであり、最もグローバル化している航空会社に関して見ると、今後日本の地方都市の出番が多くなるとは考えにくい。

 これらのことから福岡の国際化について「?」が浮かび上がってきた。ランキングやデータを鵜呑みにして、喜んでいて良いのか?

果たして、福岡はグローバル都市になれているのだろうか?

●データーで見る外資系企業の実態

それでは、本当に外資系企業は福岡に来ていないのだろうか。

都市の宣伝として、数値データやランキングを使う場合、抽出の仕方によって、いかようにでも良く見せることができる。つまり自分に都合の良いところだけを選び出したり、比較対象とする相手を恣意的に決めたり等、学術論文ではないので、客観性や普遍性等はそこまで問われないのだ。このような恣意的データは宣伝に使うのには役立つが、効果的で意味のある戦略を組み立てる際は注意を要する。

例えば、比較的信憑性が高いと思われる、九州経済産業局の九州アジア国際化レポート2015を眺めてみよう。「1-3-9 九州の外資系企業(支店・営業所等含む)の県別企業数(2014 年時点)」によれば、福岡県の外資系企業事業所数は303社を数える。九州の中では圧倒的な数だ。一方、経済産業省の「2016年3月30日 第49回 平成27年外資系企業動向調査(平成26年度実績)速報」によると別表1のとおりとなっている。この調査は、①外国投資家が株式又は持分の3分の1超を所有している、などいくつかの条件を設定し、対象企業を調査しており、回収率が約60%ではあるが、全国を同じ基準で調査しているため、都市間の比較には役立つデータだ。これによれば、福岡県の外資系企業は25社、東京都の2,284社と比べると比率にして、約1パーセントである。2番手は神奈川だが、こちらは東京圏として合算し考えても良いくらいだろう。大阪でさえ164社だ。企業数を見ただけでも、都心と福岡では圧倒的な差だ。

SnapCrab_NoName_2016-9-2_13-20-14_No-00

しかし従業者数ではさらに驚くべき実態が明らかになる。社員数が1人でも100人でも1社と数えられるため本当の規模感は企業数ではわからない。そこで別表2従業者数を見ると、東京415,097人に対し福岡758人と、なんと0.18パーセントだ。つまり事業所規模的には1000分の1オーダーの比率でしか、福岡には外資系企業が無い。ほとんど無いと言っても良いくらいだ。

 

SnapCrab_NoName_2016-9-2_13-22-18_No-00

●地方都市の国際化の内実

もちろん外資系企業の数が都市の国際化の唯一の指標ではない。留学生数や国際会議の数なども重要だろう。だが、最初に挙げたエピソードのとおり、実際問題としては、外資系企業の事業規模が、国際関連ビジネスの仕事量に直結することは間違いなく、それはつまり外国人や外国語が出来、国際ビジネスに携わるグローバル人材の数として現れる。本来的な意味の国際化とは、別にスターバックスやマクドナルド、サーティーワンアイスクリーム等の外資系店舗が増え、外国語表記が街にあふれるだけではなく、やはり主要業務の中で海外や外国人とのコミュニケーションが求められる事業所があり、そこで働く人々が増えていくことが必須なのだろう。

しかし、外資系企業の誘致に関して言えば、これまでのデータから見てもわかる通り、グローバル企業の集積や豊富な国際路線や都市機能等のインフラ充実といった様々な要因により、現時点では東京圏に対し、福岡に勝算があるとはとても思えない。やはりそこには冷静な分析による、確固とした戦略が求められる。

九州・福岡の可能性の一つは留学生だろう。もちろん東京に敵わないが、その開きはそれほど大きくない。平成27年度外国人留学生在籍状況調査結果の地方別・都道府県別留学生数(独立行政法人日本学生支援機構(JASSO))によると、平成26年5月1日現在、東京都がトップで81,543人、次が大阪府の15,280人、そして福岡県は3位、13,666人となっている。人数だけを見れば先の外資系企業従業員数758人の約18倍だ。留学生の場合は、住民でもあるので年間延べ人数でいえば365倍の4,988,090人の日帰り外国人に値する。また、国際会議の数は、2009年から2014年まで6年連続で東京23区に次いで第2位だ。そのうち外国人の参加者数は、トップが東京23区58,769人で福岡は第4位9,307人となっている。さらに平成27年の福岡空港、博多港からの外国人入国者数は208万人となっており、平成24年から4年連続で過去最高である。中国からの入国は、今後中国人の中流層が増えるに従い増加することは確実であるため、観光客の存在はばかにならない。現時点では韓国人が最大だが、このまま中国人の旅行客が増え続ければ、間違いなく中・韓の順位は逆転するだろう。

なお福岡県の留学生の国籍内訳は、もちろん中国が第1位で6,147人、なぜか第2位はネパールで2,433人、第3位はベトナム2,350人だ。これも数だけで見ると不思議な気がするが、内実を見れば理解できる。例えば最も留学生の多い九州大学を見ると、1位中国1,051人、2位韓国238人、3位インドネシア108人であり、これは国力や人口から考えると納得のいく順位だ。ちなみにベトナムは48人でネパールに至っては6人であり留学生全体数の割合と比べると乖離している。ネパール人の最も多い大学でも日本経済大学の116人だ。つまりネパール人やベトナム人の留学生の多くは大学生ではないということ。時々報道もされるが、労働者として連れてこられ日本語学校に通う人々が留学生数に加えられているのだ。(留学生数は2015年8月福岡県新社会推進部国際交流局発行「福岡県の国際化の現状」より)

●来るべきグローバル社会に備えて

つまり、福岡・九州における国際化のキーワードは、1留学生、2中国人、3外国人観光客、4アジア、5余剰グローバル人材(またはグローバル人材流出)、あたりになるだろう。そうすると、自ずと現実的に目指すべき方向が定まってくるだろう。まずは留学生に対する手厚い施策。これは地元企業への就職紹介だけでなく、寮や保証人制度などといった生活保障、地元民や地元企業との積極的な交流の場の活性化、日本語教育の充実等まだまだ推進すべきことがある。次にやはり中国人との付き合い方を、本格的に考えていく必要がある。まずは小中高校などの教育現場での中国語・文化教育を本気でやっていくことが東京との差別化につながっていく。政治や国民感情的に難しい部分はあるが、この20年ほどの中国・日本の関係性の変遷を眺めれば、これから20年後のアジアにおいて、日本と中国の関係性や、中国の位置づけがどう変わっていくかは、自ずと分かるだろう。1995年からの20年で中国の名目GDPは約15倍に増加したが、日本はなんと減少している!2009年に追い越され今や半分以下だ。

 

この現実はいかんともしがたい。中国の統計は信じられない等といっても、東京・大阪規模の数百万~数千万の大都市が次々と地下鉄・高速道路、都市公園・文化施設などのインフラを整え、高層ビルが立ち並び、億単位で中間層が増加している実際の勢いのある中国を見ている人間からすると、些細な戯言に過ぎないと思える。中国バブルによる成長の減速は避けられないかもしれないが、すでに出来上がってしまった未曽有の巨大国家中国の14億人の人民と、彼らが作り上げた都市や資本が一夜にして夢の様に消えてしまうことは決してないのだ。

中国のさらなる拡大と国力の増大は、もはや避けられない変化であり、早く手を打てば、必ずや福岡・九州は東京とは全く異なる未来を構築することが期待できるだろう。また、最初のエピソードのとおり、福岡には外国語の出来る日本人高度人材や日本に就職したい留学生が余っていることもヒントになるかもしれない。

すでに人口減少の局面に入り、日本の企業は国内に留まっていては、縮小しいずれは消滅することとなる。このとき生き残れるのは、アジアや世界を材料の調達先としても、生産工場としてもまた市場としても捉えられる企業か、大きな付加価値を生み出せる企業のみだ。TPPのような国際的枠組みを活用できる会社だ。そんな企業に求められるのは、どんなところにも出ていき、誰とでもうまくやっていく異文化コミュニケーション力のある人材だ。

福岡・九州には中国人を中心とした優秀な留学生たちがいる。短時間ではあるが次々とやってくる観光客や国際会議の参加者がいる。このような、身近にいる異文化人材との交流・コミュニケーションを通じて、地場企業もグローバル化を推進していく。

一方で東京駐在の外資系企業の仕事でも良いから、国際的な業務であれば福岡で受けることのできる企業を誘致していく。これにより高度グローバル人材の雇用を促進する。

そして、中国やアジアを特に重視する施策や教育や考え方を普及させていくことで、東京との差別化を図る。これについては、福岡・九州はある部分で東京に先行している部分もあるのだから、あまり東京にばかり引きずられずに、独自路線も維持していくことが重要ではないだろうか。

日中グラフ最後

●福岡貿易会でもグローバル人材教育

このような地方都市にあっては、人材こそが唯一の資源である。地域において世界のために働けるグローバル人材を育成していくこと、また彼らが活躍できる場・企業を作っていくことが、困難ではあるが今後ますます重要な課題となる。福岡貿易会ではこれまでも、貿易実務やビジネス英語・中国語を始めグローバルビジネスの即戦力育成に尽力してきた。

そして今年9月から連続15回のシリーズでグローバル人材育成セミナーを開催することとした。ここでは経験豊富な海外ビジネス経験者を始め、福岡貿易会だからできる、一流の講師陣を揃え、これを受ければいやがうえにも、海外に飛び出したくなる!中国・アジアにも強くなる。そんな、即戦力になるグローバル人材を育成するセミナーだ。詳しくは 福岡貿易会 HP http://www.fukuoka-fta.or.jp/にて!

「村上さん、ラオスには、確かに大したものはありませんでしたが」

〇ラオスとの出会い

僕も含め多くの一般ピーポーにとって、ラオスは本当に遠い世界だろうと思う。初めてラオスについて、知ったのは、福岡アジア美術館の仕事をしていた時で、この美術館は当時、世界でも類を見ないアジア21カ国・地域の近現代美術を系統的に扱うと言う、世界でも極めて特殊な環境にあったわけで、そんな中で、ラオスの美術家と交流する機会を得た。1999年に開催された福岡アジア美術館の開館記念展、3年に1度現代美術を紹介する「福岡アジア美術トリエンナーレ」に招かれたドーンディ・カンタビレィだ。この展覧会では、とにかくアジア全域を紹介することが一つのルールであったため、それぞれの国が置かれた現状を良く表している。現代美術はある意味、その国の文化の最先端とも言えるからだ。 そういった意味で、日本を始め多くのアジア諸国の作品は一般には、理解し難いとも言える表現形態、つまりまあいかにも「現代美術」であったのに対し、ラオスのそれは、極めて分かりやすく、童話の挿絵のような、素朴な絵画であった。また、福岡市民との交流事業でも、難解なコンセプトや説明を要するパフォーマンス等も散見されるなかで、彼のものはひときわ単純明快な紙芝居の制作、上演であった。つまりラオスには、先進国で言うところの現代美術が無かったのだ。ブータンもほぼ同様だったが、こちらは、仏教祭壇供物「トルマ」(バター彫刻)を創る僧侶を招へいした。こちらは、もはや美術家ですら無い。つまり、美術作品を観るだけで、アジア21カ国・地域の中でも特にラオスやブータン等については、かなり異質な国であることが分かるのだ。次にラオスについて、聞いたのは国際協力機構・JICAの研修を受けた際だ。ここで出合った日本人エンジニアはJICAのラオスでの支援事業に参加し、もうすっかりラオスの虜になっており、家を建ててラオスで暮らすことを決めたと言う。 そんなわけで、僕のラオスイメージは、のんびりした楽園のような国なんだろうなあ、ってところだった。一方で、ラオスの美術家が病気に罹り、日本なら助かるのに、ラオスでは医療機器が無く、国内では処置出来ず、寄付を募るといった事もあり、先進国のありがたみもひしひしと感じたのだった。DSC07239

DSC07235

賑やかな夜と静かな朝のメコン河畔、対岸はタイ国

〇まさに、ビエンチャンの土を踏む、初上陸の夜

そんな、近くて遠い国ラオスに、期せずして行くこととなった。と言っても、実は東南アジアなのに、全然近くない。直行便が無く、乗り継ぎが悪いため結局ヨーロッパに行けるほど時間がかかってしまうのだ。福岡を朝出て首都ビエンチャン到着した頃にはもう真っ暗。ラオスなんだけど、中華料理店で夜食を頂き、ホテルはメコン川沿いってことで、メコンに向かう。そしてなぜか、川まで行かずにバスはストップ。夜のリバーサイドは賑わい、人通りが多いため、バスは入れないと言う。未舗装のガタガタ道に下ろされ、ガタゴトスーツケースを引き摺りリバーサイドに来てみると、景色一転、そこはもうきらびやかなリゾート地だった。川沿いにはずらりとホテルや居酒屋が並んでいるだけでなく、川辺側は見渡す限りオープンパブの様相で、カクテルバーやバーベキュー、なんでもござれ。ステージではノリノリのバンド演奏が繰り広げられ、こんな祭り状態が毎晩のように続いているらしい。ホテル内の白壁には巨大なかべチョロが張りついたり、ドアなどの建具の木工がやけに豪勢で美しかったり、普通クラスのホテルでもなかなかにエキゾチックな情緒漂う環境だ。

〇最先端ファッションショー「FACo イン ラオス2015」開催

FACo stage1

 

 

FACo LinQ

福岡からやってきたアイドルグループ”LinQ”に会場は熱狂

今回のメインイベントは、福岡やアジアで毎年開催しているファッションショーFACo(福岡アジアコレクション)のラオスでの開催だ。これは日本ラオス外交関係樹立60周年を記念して、国際交流基金や在ラオス日本大使館等で組織された実行委員会が主催する、Japan Festival 2015の、メインイベントとも言えるもの。何でも、ラオスでこんなに本格的なファッションショーを開催するのは、これが始めてとのことで、期待も膨らむ。JAPAN FESTIVAL二日目、会場の雑踏は初日とは比較にならないほどごった返していた。着物でお出迎えするラオスの女性達や、まさかラオスでまで出くわすとは思いもしなかった、アニメのコスプレを披露する若者達などで、既に会場は熱気でムンムン。そしていよいよ、日没が近づくと、薄闇のビエンチャンに、おそらくはこれまでなかった様な轟音がドスドスと響き渡った。こののどかな楽園に突如として出現した、リズミカルに光輝く最先端のステージは、一瞬唖然とした観客達を、瞬く間に陶酔と熱狂の渦に巻き込んで行く。いよいよ「FACo IN LAOS 2015」の開幕だ。 まずは、博多祇園山笠など、福岡のイメージを強烈に印象づけるビデオ映像が巨大スクリーンに映し出された。そして、次々に登場する、ラオスで選りすぐられたモデルやゲストも、まるで男性の欲望をそのまま実体化した美の女神の様に美しく魅力的なミスラオスをはじめ、軽快なトークで観客達をがっつりつかむアーティストなど、見応えもたっぷり。ステージでは、福岡/日本の最先端ファッションだけでなく、福岡とラオスのデザイナーが国境を越えコラボした、ラオシルクを使った斬新な衣装などが披露された。そしてついに、はるばる福岡から、連れて行った、アイドルグループLinQの登場。初めて見る日本のポップカルチャーに最初は戸惑っていた観客達も、おっかけのファングループ(なんとタイからやってきたらしい!)達の、余りに熱心、いや無心とも言えるような熱狂的な応援と、そしてなんと言っても、アイドルの少女たちの本当に楽しそうで一生懸命なパフォーマンスに徐々に感化され、最後には会場が歓声と拍手の渦に包み込まれた。 なお、在ラオス日本大使館からの速報だが、ジャパンフェスティバルは、概算で11,000人(初日2,000人、2日目4,500人、3日目4,500人)を集め大盛況だったとのことで、これは、2日目に開催された、今回のジャパンフェスティバルを際立たせた最大の目玉イベント「FACo in Laos2015」の効果が大きかったとのこと。

FACo stage2

ラオスのシルク素材で作られた、ラオス・福岡コラボファッションを纏うミスラオス

 

〇大使公邸に潜入!

DSC07348

大使公邸での昼食会は純和風だ

このイベントは、国際交流基金アジアセンターや(一社)東京倶楽部の助成をはじめ在ラオス日本大使館等現地の方々等の協力により実現出来たわけだが、今回はその中でも現地で精力的に動いて頂いた、在ラオス日本国大使館の大使公邸昼食会に招かれた。極めて穏やかで安全な国ラオスだが、さすがにここでは物々しい警備のゲートが行く手を阻む。大使館員と同行していたにもかかわらず、なぜか厳しいセキュリティチェック。そして無事メコン河畔の大使公邸に到着。小国ラオスといえども、大使公邸ともなれば、日本国の全権を委ねられた代表者の居所だ。居間には天皇皇后両陛下の肖像写真が飾られるが、これは大使の信任状が国家元首(天皇)から託されるためだろうか。豪華なゲストルームでは、純和風の、恐らくラオスではここでしか食することの出来ないような、本格的な日本料理が振る舞われた。ゆったりとした会食の後には雄大なメコンを望む大使館庭園で岸野大使閣下を囲み記念撮影。ちなみにメコンは乾季になると肥沃な川底が広がり、広大な無料耕作地が出現、そこかしこに畑が造られる、もちろん無断で。そして対岸はタイ王国。なんてのどかな国境地帯だろうか。

〇ドキドキ驚きのナムグムダム

 ビエンチャンからバスで北上すること約2時間。その間車窓からは、本当に過去にタイムスリップしたような、のどかな村落の風景が延々と広がっていたが、その道々、90年前にフランス軍が建設した鉄製の橋が未だに現役であったり、ベトナム戦争時に米CIA等が極秘で主導していたモン族の特殊部隊の不幸な命運、そして米軍による未曾有の不発弾を未だに抱えるラオスの闇の歴史にも触れながら、複雑な心境になっていく。余り知られていないが、ラオスは、歴史上、人口1人当たりの爆撃が最も多い国である。第2次インドシナ戦争後8000万個の不発弾が残され、戦後も不発弾で数万人が死亡し、いまも多くのこどもを含む人々が命を落とし続けている。声を上げる力が無いためか、某国の圧力かは知らないが、カンボジアやベトナムの様には、一般に知られていない。

一方で現在においては、例えば道路脇にいきなり出現する、豪華な巨大ゲートは何かと訪ねると、中国が造ったカジノリゾートへの入口だったりする。

有名な麻薬の栽培地ゴールデントライアングルでは、中国が外国であるにも関わらず、経済特区を作り、カジノでの賭博や売春などで話題だが、こんな所にも中国はカジノを造っているようだ。過去に欧米列強から租界を作られた記憶が新しい中国にとっては、当然のことなのだろうか。また、首都ビエンチャンに立つ国際会議場や博物館、文化会館などの豪華で立派な建築物はほとんど中国が建造しており、現地ガイドによると既に住民の半数近くが中国人になっている気がすると言うし、中国による、中国からラオスを通過して、タイに至る高速鉄道の建設が本決まりになったらしく、今後この国は一体どうなっていくのか、一抹の不安が残る。

DSC07270trim

国際会議場や博物館など豪勢な建物はほとんどが中国によるもの。
DSC07272
ビエンチャンで最も立派な建物は、今や世界最大の中国工商銀行。まるで英国が香港に置いたHSBCを模したように進出し今やHSBCを超えた。ロゴが似ているのは気のせいだろうか。

IMG_3922

中心部の大通り以外はほとんど未舗装だ

そんなラオスの近現代史の中でも、ナムグムダムの歴史は日本人としてなかなかに誇らしいものだ。熊本出身のエンジニア久保田豊が発案しその当初の建設を指導したと言うこの建造物、下から見ると何の変哲も無い普通のダム。ビエンチャンから2時間もかけて来たのに、と訪問団員もがっかり。日本人が大きな役割を果たした証拠の碑も結局確認出来ず、あわやブーイングの嵐。僕たち事務局・添乗員ともに平身低頭で泣きそうになりながら、昼食会場に向かうその道すがら、峠の木々の間からとてつもなく壮大な景色が眼前に開けたのだ。慌ててバスを止めてしばしその雄大な景色を堪能。まるで大海に浮かぶ松島にも比すべき絶景。対岸はもはや遠すぎて消失するほど。こんな巨大なダム湖は日本には存在しないだろう。琵琶湖に匹敵する規模だ。そしてこの景色のおかげで今回の小旅行も名誉挽回。このとてつもない水量が、今やラオスの主要産業となった水力発電を支えているのも納得。ちなみに、ビエンチャンの真ん中を通る主要道路も日本が建設したものだそうで、日本は土木系の支援に強いのだろうか。しかしながら主要道路以外はまだまだ未舗装状態であり、今後の舗装需要は限りなく伸びそうだ。といっても現状でも桁違いの中国の進出を見ている限り、今後の開発支援は完全に中国の影響下で進められるのではないかと感じた。DSC07528

レストランより望む巨大ダム湖

ナムグムダム昼食2

絶景のナムグムダム湖畔レストランで昼食

〇小便器を見て思ったあれこれ

 慌ただしいビエンチャンでの行程を終えると、次は欧米人が最も行きたい観光地にも選ばれたというルアンパバーン。ここは、あの村上春樹に「ラオスにいったい何があるというんですか?」(村上による旅行記、2015年出版)とまで言わせ、同著書の表紙にも選ばれた話題の土地。ビエンチャンから、ラオスの国花プルメリアで彩られたラオス国営航空でひとっ飛び、そこは、知られざる注目の観光地、古都ルアンパバーンだ。まあ、日本人には余り知られてないが、おそらくは欧米ではかなり前から大人気なのだろう。観光スポットは白人で溢れていた。

 実はちょうどこの頃フランスでのテロ騒ぎで、ヨーロッパ等への旅行者が激減してたときだったのだが、ビエンチャンの国内線のセキュリティチェックは最強で、たまたま手元にあったペットボトルの水をそのまま、コンベアのトレイに乗せてしまったところ、入口のお兄さんは何も言わず、出口のお姉さんは、疲れた様にうつぶせたまま、こちらを見ることも無く、出口を指さされ、めでたく何のおとがめも無く通過。だいたい警察官はみんな夕方にはうちに帰り、ビールを飲んで、バイクで出かけていると言う位だから、平和この上ない。殺人事件がほとんど無いと言う希有な国だ。テロなんてどこ吹く風だろう。

DSC07688
DSC07564よりによって、なぜこんな所でご飯を炊いているのか?もしかすると単なる電気泥棒か

またラオスで多くの日本人男性が戸惑うことの一つに小便器問題が挙げられる。ラオスで対面した全ての小便器の位置が不自然に高いのだ。意地悪な程高いのだ。自分の短足加減を思い知ることとなる程高いのだ、これはそんな短足への戒めや、もちろんラオス人が足長族なためでもない。勘の良い方はおわかりだろう。つまり全て足長欧米人がスタンダードとなっているからなのである。便所ネタついでに、ラオスのトイレについて、未だ解決出来ていない謎が、写真のものだ。それは、トイレの中で炊飯器の様な鍋のような料理を作っている場所が、何カ所もあったこと。なぜ彼らはトイレで料理を作っているのか。この謎は未だ未解決のままである。これは欧米スタンダードとは関係なさそうだが。

そんな気持ちであらためて街中を眺めると、洗練されたカフェや美しく飾られた街並みは、バリやタイなどの一部のエリアの様に、世界中に点在する国際的な観光リゾートそのものだ。本当に素晴らしく整っており、ホテルも途上国のものとは思えないほど充実。夜のマーケットやしゃれたレストランにしても、楽しく魅力的で居心地が良い空間が広がっている。結局世界で人気のある観光地は、欧米スタンダードに標準をあわせて、作られた街なのだ。またメコン川クルーズやサンハイ村での蒸留酒造り、天然素材を鮮やかに染め上げた織物で人気なサーンコーン村など恒例の見どころと、朝と夜それぞれ特徴のあるマーケットの喧噪。そして托鉢体験など、なかなか余所では体験が難しい異国情緒たっぷりで、忘れることの出来ない思い出深い旅が経験できる場所でもあった。しかし、ラオスになにかすごいものがあるのかと言われると、言葉に詰まる所ではあるが、たいした物がないからこそ、時間の流れがとてもゆるく、人々ものんびりと優しい気持ちになれる。人の物を盗ったり盗られたり、騙したり騙されたり、この国にいるとそんな邪な考えを抱けなくなることも分かる気がする。一度行くとやみつきになる人が多いという。喧噪にまみれた現代人だからこそ、無いものを求めてこの国にたどり着くのかもしれない。疲れたあなたにこそ、是非一度は行って欲しい桃源郷である。福岡貿易会K.Y.

托鉢

早朝の托鉢体験

グローバルヤンキーは地方を救う!? ~上海でわしも考えた~

IMG_3783

観光地としてもどんどん洗練されていく国際都市・上海

・過疎から地方創生へ

地方創生の話題は一体いつ頃から取り上げられていたのだろう。実は今に始まった話ではない。地方創生は言い換えれば過疎問題の解決でもあろう。過疎という言葉は1966年に、経済審議会の中で初めて公式に使われたらしい。つまり、半世紀も前から課題は分かっていたのである。そして今更“地方創生”である。この事態をどうとらえたら良いのか。50年間手を尽くしてきたが、どうにもならなかった。そういうことなのだろうか。それとも今まで本気で取り組んでなかったが、今年からは本気で取り組むから大丈夫なのか。だれを責めても仕方の無いことであるが、現状を見る限り地方の衰退は止まる所を知らない。

一方で大きな産業構造の変化と人口の流れを世界的に見ていくと、実は工業・製造業を中心とする第2次産業から、サービス業・情報産業などの第3次産業へ産業の中心がシフトしていく中で、人口は都市への一極集中から、地方への分散が進むと言うデータもあるようだ。この局面においては、より大きな価値を生み出すものは、工場などの製造拠点を中心とした物的不動産的資本から、形のない情報や優秀な人材が集まる大学・研究所などの人的・動的資源へと変化する。そして、データがクラウド化して分散されたように、人々も都市情報も分散化していくのだ。

ヨーロッパや北米などでは既にそのような段階に達した都市があるように見える。シアトルやバンクーバー、ストックホルムやヘルシンキ等、人口規模ではせいぜい数十万人から100万人程度の都市でも極めてグローバルな影響力を持つ都市が多く存在する。デンマークのオーフスやエストニアのタリン、スペインのビルバオ等も今後ますます注目される都市だろうが、アジアの大都市のように極端な人口集中が無くても、産業と都市の発展が成り立つようになる。

この観点からすれば、日本も産業構造のシフトが順調に推移すれば、ある程度の規模と住みよい環境が整っていれば、地方への人口移転が進むかもしれない。もちろん、少子高齢化の勢いは当面は収まらないため、表面上は人口減少が進むことになるかもしれないが。

いずれにしても産業構造の速やかで効果的な変化が重要なポイントとなる。

・ヤンキーとエリート

ヤンキーと聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。僕自身はそれほどヤンキー度は高くないけれど、ヤンキー的な友達はいた。そんな一般庶民の僕にとって、この言葉にはすこし侮蔑的な意味合いもある気がする。ヤンキーを取り上げた書籍も何冊か読んだが、その多くはどちらかというとマイナスイメージが主調となっている。しかしそんな一方で、ヤンキーと呼ばれる様な人々が、主にローカルで生活をしている実態からか、最終的には極めて家庭的でしかも、地域貢献的な社会生活を営むようになる場面を良く見るようになった。例えば意外に地方の祭りに主体的に参加し、それを維持していたり、青年団や消防団などで活動していたりもする。

一方でエリートはどうだろうか。最も進んだエリートはグローバルエリートとも言えるだろう。彼らは地方どころか、国にも関わりなく活動する。海外の一流大学を卒業しMBAなどを取得。当然日本での活動は東京が中心であるが、世界中を股にかけて活動する。その結果、生まれ故郷に帰ることはほとんど無くなる。つまり一般的には優秀であるほど、地方から中央、中央から世界へと活動の場を広げていくため、最終的にはなかなか地方に優秀な人材が残らず、益々地方の人材リソースが乏しくなるわけである。このこと事態はある程度仕方の無いルールかもしれない。(福岡などの地方都市に残る一部のエリートは医者か弁護士、一部の公務員か電力、交通、マスコミ等の公共インフラ業界などに限られるのが実態だ)しかし地方人としては何かしら希望が欲しい。そんな時、僕がこの福岡の地方都市で回りを見渡しつつ、また上海を訪れたときに一条の希望の光が見えた。それが“グローバルヤンキー”の隆盛だ。

・グローバルヤンキー

それではグローバルヤンキーとは何者か?この言葉は僕が勝手に作ったものなので、(既にどなたかが使われていたら申し訳ないが盗用で無いことは一応お断りしておきます)定義も僕が勝手にやれば良いだけなのだが、多くの場合彼らは、一流大学卒のエリートではないかもしれない。一流大卒でもトップクラスではないだろう。しかし地場の大学ではそれなりに活動的で優秀な場合もあるだろう。もちろん大卒である必要は全くない。最も重要な要素は、飲み会大好き。これにつきる。これは言い換えれば仲間意識の醸成やネットワーキングが得意であり、遊び心に長けているとも言える。飲み会好きや仲間意識が向かう場所は祭りであり、祭りは地域に繫がる。ノーマルヤンキーとの違いは、外国語が出来て、それ以上に異邦人とのコミュニケーション力に長けていることだ。彼らは人付き合いが得意なため、エリート以上に人的ネットワークが広い傾向があり、特に地場ネットワークに強い。海外においても勢いやノリでグイグイ社会に入って行けるので、語学能力はエリートに及ばずとも突破力に優れる。もちろん、ヘッドライトを高くしたバイクや車高を低くした高級車に乗って爆音を響かせ、集団走行した経験は必須ではない。

福岡の経済は9割以上が第3次産業で、ある意味、都市としては新たな段階に到達しており、今後のステップアップが期待出来る一方で、グローバルエリートの活動出来る場はほとんど無い。しかし屋台や安価で美味い居酒屋など、充実した食文化や天性の祭り好きのDNAが溢れており、人が集い楽しみながら生活する場としてはかなり充実している。そんなところで活躍するのが“グローバルヤンキー”なのだ。

 ・無法地帯、上海メトロポリタンのパワー

名実ともにメトロポリスとなった上海

名実ともにメトロポリスとなった上海

なんで、今回上海がテーマでこんな事を思いついたのか。それは今まで色んな場面で目にして話を聞いた人々、特にチャレンジングな方々の生き方を知るにつけ、徐々に考えるようになったのだが、上海に行って特にその思いを強くしたからだ。10年振りくらいの上海ではあったが、街の様子自体は思った通りの変わりようであり、業務上、上海の情報は相当に入ってきてはいたので、驚きと言うほどではなかった。

今や上海人は地下鉄でもきちんと整列するよう、教育されている!

今や上海人は地下鉄でもきちんと整列するよう、教育されている!

すでに上海はある意味で中国であって、中国でない。いくつか印象を挙げるとすれば、つまりいわゆるメトロポリスとなり、その住民も多くが都市住民・メトロポリタン化していること。例えばこの地下鉄の写真の様に列に並ぶと言う都市市民のマナーも守れる様になって来ているし、おそらく都市住民に限って言えば、もうしばらくすると日本人とも区別がつかない位になるだろう。また、日本や西欧の日曜品が一定のブランド力を持って街に溢れていることも、確認出来た。例えば様々な日本茶を飲ませるカフェなどもあり、ある意味日本でも見たことがないような日本食文化が発展してきている。つまり多様な文化が混じり合い発展するグローバルなメトロポリスである。

現地でもありがたく販売される日本製日曜品

現地でもありがたく販売される日本製日曜品

彼ら都市市民は、既に住居や高級車、大型テレビやパソコンなどの家庭用品・贅沢品は十分過ぎるほど手に入れ、今や日常生活に使う消耗品などの質の向上を求める様になったため、安全で美味しい食品はもちろんのこと、日本や欧米で使われ、洗練されてきた紙おむつやトイレットペーパー、洗剤や歯磨きと言った本当の日曜品を求めているのだ。

さらなるビジネスチャンスを求め、日系百貨店の中にも日本館が

さらなるビジネスチャンスを求め、日系百貨店の中にも日本館が

またある意味で日本より相当に自由な部分があること。これは、少し意外な所だったのだが、上海は今あらゆるサービス産業の巨大な実験場になっているようで、例えばタクシー配車アプリや出前注文アプリなど、スマホを使った新ビジネスがどんどん生まれているらしい。これは日本であれば、様々な役所が厳しく規制しており、なかなか進めるのが難しい分野もあるのだが、この街では、とりあえず何でも思いついたらやらせてみて、都合が悪ければ取り締まるといった、ある意味奔放さがあり、そんな中でしのぎを削るため、その内容がどんどん高度化してきているらしいのだ。ネット通販の異常なまでの充実や乱立する同種サービスは、市場としての巨大な人口とあらゆる人材、そして何でもやってかます大胆な勢い。こんな環境で立ち上がってきたサービスの威力は半端なく強力であろう。

「暖いこころ」で多様な日本茶が供されるカフェ

「暖いこころ」で多様な日本茶が供されるカフェ

 

そして何人かの人々から聞いたことだが、このような奔放さや勢いは、実は欧米にも共通する部分であって、逆に日本だけが極めて、規制でがんじがらめ、ガチガチで何も出来ない“拘束都市”になっていると言う。つまり日本が異常なほどに特殊と言うわけだ。これは日本だけを見ていると気づきにくい部分である。

一気に普及した電気バイクは無音で、あらゆる方向から迫り来るのだ

一気に普及した電気バイクは無音で、あらゆる方向から迫り来るのだ

 ・地方から中国、アジアそして世界へ ~救世主現る~

こんなダイナミックに変貌していく世界最大の国家、中国の中心都市上海だが、こんなところで何かを成し遂げるのに必要な要素はなんだろうか。もはや理性や知性だけでは太刀打ち出来ない。冷静に考えているとやる気が失せてしまうのだ。必要なのは、ある意味、馬鹿な無鉄砲さであり、思い切りであり、リスクテイキング・チャレンジである。冷徹な知能に基づく計算も追いつかないほどに、社会状況は複雑で環境は日々変化してしるのだ。僕が出合った“グローバルヤンキー”な方々は皆、「よくやるよなあ、こんな所で、そんな事を!」と思えるような、思い切った決断をする冒険者達であり、魅力的で、活き活きと仕事と人生を謳歌している人々だ。その中でも強者達は、見込み薄とも思える起業にチャレンジし新天地に赴く。冷徹で頭の良いグローバルエリートが手を出さない所にまで入り込んで、泥臭い仕事もこなしつつ、バイタリティーで突き進む、そんな地方発“グローバルヤンキー”の世界での活躍に僕は期待しているし、応援していかなくちゃならない。だから今後政府や地方自治体は、大企業に就職出来るようなエリート人材への応援以上に(彼らは放っておいても自分たちで上手くやれるのだ)、それより少し下のレベルの“グローバルヤンキー”を大事に育てて支援する施策を打っていくことこそが、地方都市がグローバル都市に飛躍する推進力となる現実的な処方箋なのではなかろうか。つまり、

地方創生の救世主はグローバルヤンキーなのだ!(あえて言い切って見ました。)

福岡貿易会K.Y.

猛進する釜山はどこに向かうのか?

◆韓国・釜山はいったいどうなっているのか?

DSC07091

韓国を訪問するのは、2年ぶりだった。これまで、仁川、ソウル、浦項、そしてもちろん釜山などいくつかの都市を調査訪問してきたが、大ざっぱな印象として、中国の大都市と同様に、大規模な投資と急速な発展、都市間競争の熾烈さといったものをいつも感じていた。始めの頃は、単純に、すごいなあ!といった感嘆であったが、徐々に、どうしてこんなことが?から、いつまで続けることができるんだろう?というちょっとした疑心暗鬼に変わってきた様に思う。今回の訪問でも、すごいなあ、と同時に、大丈夫かなあ?といった疑問もわいてきた。そこで、まず、韓国・釜山の現状を、基礎データを集め、日本・福岡市と比較してみた。するといくつかの意外な事実が見えてきた。
まずは人口である。定期的に釜山を訪れてその発展ぶりを目の当たりにしている人々には少し意外かもしれないが、実は釜山の人口は2000年頃をピークに減少し続けている。そこで、良く言われるのが、ソウルへの人口流出である。多くの人が仕事を求め釜山から、ソウルに移動していると言うのだ。それ自体は間違いないだろうが、データを見ると、それだけではないことが分かる。

人口比較

実は、韓国全体の人口は、微増しているのだが、ソウル市の人口はほとんど変化していないのだ。つまり、地方の人口が単純にソウル市に集中している訳ではないことが見て取れる。おそらく都市圏などまで含めて詳しく見ていくと実態が浮かび上がるのだろう。しかし、韓国第2の都市であり、華々しく高層ビルが建ち並び、世界第5位の貿易港(今や博多港の20倍規模!)を擁する釜山市が、韓国全体としては人口が増加しているにもかかわらず、人口が減り続けているのだ。
次に経済状況を概観してみた。ここでも意外なデータが出てきた。抽出・比較したのは国内総生産額と市内総生産額である。

総生産比較

これで、まずわかるのは、釜山市の総生産は既に福岡市とほぼ同じとなっていると言うことである。成長率を勘案してみると、既に追いつかれている可能性も大きい。一方、韓国全体での総生産の伸び率に比べると、釜山市の伸び率がそれほど大きくないと言う事実も見える。

福岡市はここ10年ほとんど変わっていないが、日本国全体では減少傾向である。データの集め方まで精査していないので、単純には比較できないが、約2.5倍の人口規模であり、世界第5位の貿易港(もう日本で太刀打ちできる港はない)を擁する大都市の総生産がどうして福岡市と同じなのだろうか。そこで、東京都とソウル市を含めて、ひとりあたりの総生産額を2012年を基準に調べてみると下の表のようになった。

釜山ひとりあたり総生産額

◆大発展を続ける釜山広域市!?

一見して分かるとおり、福岡市や東京都は日本国全体平均よりも、ひとりあたり総生産額が大きい。東京都などは約2倍である。一方釜山市はと言うと、全国平均の65%である。またソウル市が韓国全体平均とほとんど変わらないのも意外である。これは、一体どういうわけだろう。詳しく分析しないと何とも言えないが、まず、韓国の人口の多く(半数近く)がソウル都市圏に集中しており、これが全体の総生産額平均を引き上げているのかもしれない。そして、釜山市の主要産業である製造業や小売業などは、中小企業がほとんどであり、韓国は、日本と比較した場合の中小企業の労働条件が悪い(大企業と中小企業の格差が大きい)といったことも影響しているのかもしれない。

今回の調査は、詳細なものではないが、韓国国内のGRDP(域内総生産)については、韓国政府がまとめているデータベースを元にしているため、基準はある程度統一されていると考えられるが、ソウル都市圏への企業や人口の集中度からすると、どうも信憑性が疑われる。釜山市については、ここまでひとりあたりの総生産額が低いとは信じがたいが、それほど高くないと言うことは言えるだろう。

◆釜山創造経済革新センター

前置きが長くなったが、ここまで釜山市では人口が減少しつづけていること、また釜山市の産業構造や韓国の企業の成り立ちからなのかは不明だが、ひとりあたりの生産額が韓国全体に比して低いと言うことが分かった。人口減少の理由は不明だが、より収入の良い仕事を求めて、外に出て行くのは、どの国でも同じだろう。この大都市の、一見発展を続けるド派手な外観からは、想像し難いが、釜山市もこれらを深刻な問題と考えているようだ。そのため、産業構造の改革を大きな課題としており、今後は、海洋産業、融合部品素材産業、創造文化産業、バイオヘルス産業、知識インフラサービス産業などと言った高付加価値型産業を、製造業に取って代わる主要な産業に育成していこうと務めている。

釜山創造経済革新センター(全体)

釜山創造経済革新センター(全体)

そんななかで今年度できたてほやほやの組織・施設を視察した。ここは、朴大統領の指示により、全国17箇所に一斉に設立された組織の一つである。基本的にはグローバルに展開出来る商品価値・付加価値の高い商品・サービスを生み出すイノベーションのための地方産業創生組織だ。特に釜山の特徴は、釜山国際映画祭などを中心に映像産業を振興する釜山市ならではの映像コンテンツ分野の振興はもとより、流通企業のロッテが中心となっているため、流通サービスの革新などにも力を入れる。年間2億円運営費については国と市が折半しているという。

釜山創造経済革新センター(ロッテが運営するCMスタジオ)

釜山創造経済革新センター(ロッテが運営するCMスタジオ)

この組織の特徴は、全国17箇所すべてのセンターが、それぞれ異なる大企業グループと共同して、運営をしていることで、スタッフの派遣はもちろん、釜山においては施設・設備・内装などはロッテが提供しており、ここで最も特徴的なテレビCMスタジオと、そこで制作したCMの放送や商品の流通、販売までもすべてロッテが責任を持って運営しているとのことで、設立されたばかりにもかかわらず、既にこの仕組みを使って宣伝・販売をした地場企業の商品が、億単位の売上を達成しているということだった。

釜山創造経済革新センター(大型の3Dプリンターも設置)

釜山創造経済革新センター(大型の3Dプリンターも設置)

このあたりの仕組みは、財閥系の大企業が極めて大きな力を持っている韓国らしい取り組みである。またはやりのIoT(もののインターネット)基盤スタートアップ育成、も主要な3機能の一つとなっている。つまり、流通、映像、IoTスタートアップの三分野のイノベーションを推進する組織・施設である。なお、総額230億円ものファンドを有しており、有望な商品や企業、映像作品への投資も行っていく様である。写真の様に大変スタイリッシュで広大な空間・施設であり、22人ものスタッフが働いているとのこと。3名の弁護士も常駐していた。
ただ、オープンしたばっかりだったかもしれないが、利用者が少ないがらんとした空間は、おしゃれなだけにとてももったいないと感じた。唯一100名程度の若者を集めて講義が行われていたので、これは何かと訪ねた所、釜山国際映画祭のボランティア説明会であった。なお、すべての施設・設備は基本的に無料で使用できるとのこと。6ヶ月間無料のインキュベーションのオフィスも複数準備しておりなんとも恵まれた環境である。

釜山創造経済革新センター(AV視聴室)

釜山創造経済革新センター(AV視聴室)

 

◆そして、釜山スタートアップカフェ

釜山市の他都市ベンチマーキングの勢いは、本当に見習うべきだといつも感心する。釜山市ではベンチマーキングの意味が、比較検討ではなく、良いと思ったらそのまま実行すること、なんじゃないだろうか。つまり、とりあえずやってみよう!というあれ。釜山国際映画祭も、アジアフォーカス福岡国際映画祭の“ベンチマーキング”で始まり、今ではアジア有数の巨大映画祭となった。

釜山スタートアップカフェの全貌。泊まり込みのアイデアソン開催中でテントが張られていた。

釜山スタートアップカフェの全貌。泊まり込みのアイデアソン開催中でテントが張られていた。

今回はスタートアップカフェ。だいたいいつも、福岡と同様の事業を立ち上げるときは、より大規模で良いものを創られるのが鉄則のようで、これもしかり。福岡のスタートアップカフェが去年の10月頃オープンしたが、釜山版は1年も経たたず、7月にオープン。しかも既に2号店も今年中に開くとのこと。3号店の計画まであるそうだ。仕事のスピード感がとても敵わないのは、企業でも政府でも同じなのだろうか。

熱心に意見を出し合う若者達

熱心に意見を出し合う若者達

さて、釜山スタートアップカフェだ。まずはその敷地の広大さに驚かされる。街中の公園の一部を活用し、野外の地下空間を大きくくりぬいた大胆な設計となっている。訪問時にはちょうど、TENKER と言うイベントを開催中だった。これは“Tent”と“Bunker”を掛け合わせた造語だが、本当に敷地内に大量のテントを設置し、泊まり込みで24時間の、創業アイデア競争を繰り広げるもの。
全国から集まった高校生から大学生までの若者250人が参加した、熱気溢れるイベントだが、なかなか街の真ん中で、こんな贅沢な事業を実施出来るものではないだろう。そもそも敷地がない。この新たな施設や組織にしても、イベントにしてもとにかく恐れ入る内容である。スタッフは5人が常駐、アドバイザーが20人、メンターが70人とのこと。オープンしたてで、まだ真価を問う段階ではないが、福岡市としても逆ベンチマーキングをして、注視しておくべき場所かもしれない。

福岡の何倍もあるカフェ空間、これ以外にも複数の部屋がある。

福岡の何倍もあるカフェ空間、これ以外にも複数の部屋がある。

 

 

 

◆そして彼らはどこへ向かうのか

今回の施設に限らず、釜山市には、最先端のおしゃれでクリエイティブな施設・組織が毎年続々と設立されている。福岡は完全に追い越され、釜山市は今や見習うべき先進都市の様相を呈している。しかし、彼らの努力にもかかわらず、韓国の経済状況は以前ほど好調ではなく、特に問題になっているのが、若者の就職難である。
最高学府のソウル大学卒業生でも6割ほどしか就職出来ないと言われるほどである。今や9割以上が大学に進学しているという異常な高学歴社会も問題である。大企業と中小企業の格差がとてつもなく大きいため、大卒者は大企業を目指すが、そもそも大企業の求人数は少なく、かといって条件の悪い中小企業には勤めたくない。そこで、最近では海外の企業を目指す学生も多いと言う。というかむしろ日本が過去にブラジルなどに政策的に日本人を送り込んだように、韓国政府が政策的に海外に学生を送り込もうとしている。
つい先だっては駐福岡大韓民国総領事館からの依頼で、釜山で開催される大学生の就職斡旋事業に参加する九州・福岡の企業を紹介し(旅費は韓国政府負担!)、今回参加した会議でも、ソウルからやってきた韓国貿易協会の事務総長からは、会議終了後に、福岡の企業による韓国大学卒業生の雇用の可能性について、かなり詳しくヒアリングされ、是非一度福岡に来て現地企業の声も含め調査をしたいとの話があった。これらのことからしても、韓国における大卒生の就職の問題は相当に深刻化している事が分かる。韓国経済の好調は完全なグローバル企業となった、財閥系大企業が支えており、多くの中小企業は、その恩恵に預かっていない。そして釜山などの地方都市は大都市であっても、中小企業から成り立っているのが現実だ。だからこそ、次々と新たな企業・産業支援組織・施設を設置しており、また創造経済革新センターの様な大企業が中心となった地方産業振興施設が出来てきているのだろう。
しかし、韓国のこの苦境は日本も人ごとではない。これまでは日本の中小企業の層が大変厚く、また大企業との格差も小さかったが、次第にこの強みも中小企業いじめとも思える政策により、弱体化していく可能性がないとも言えないのだ。このような韓国の現状を見るにつけ、日本の宝である中小企業を守ることが、いかに重要かを考えさせられる旅であった。

◆おまけ
実は、今回の視察先で最も興味深かったのは、ちょっとした観光的な視察先であった「国立海洋博物館」だ。まあ、前に紹介した釜山市の「映画の殿堂」とごとく、例によってとても印象的な建築物で、このあたりはビルバオのグッケンハイム美術館あたりを”ベンチマーキング”しているのかもしれない。

巨大で充実した展示内容を誇る国立海洋博物館

巨大で充実した展示内容を誇る国立海洋博物館

そんなことよりもなかなかに衝撃的だったのは、入ってすぐの特別企画展だ。これはある島の写真展なのだが、鋭い方はもうおわかりだろう。そしてそのタイトルがなかなかにすごいのだ。僕は韓国語がさっぱり分からないのだがこれは、日本で開催していれば「島根県 隠岐郡 隠岐の島町 竹島1-96」といった様なタイトルになっていただろうが、開催地は韓国なので韓国における独島の住所がそのまま展覧会のタイトルとなっているのだ。パンフレットにはしっかり「国立海洋博物館は“我らが海、われわれが未来”というコンセプトで航海船舶、海洋文化、海洋科学、領海、海洋生物など海洋に関するすべての分野に行きわたる海洋博物館です。」とある。
視察中には多くの児童・生徒たちが訪れていたが、もしかすると子どものころからしっかりと領土の教育もされていたりするのだろうか、と感心したものだ。いずれにしても、かなり充実した施設であり、絶景の海辺に位置していることもあり、通常の観光地としても大変おすすめです。福岡貿易会K.Y.

なかなか大胆なタイトルの展覧会

なかなか大胆なタイトルの展覧会

 

 

参考資料)福岡市HP、釜山広域市HP、ソウル特別市HP、総務省HP

公益社団法人福岡貿易会ベトナム/カンボジア海外経済視察(2)

画像

      ベトナム 「ホーチミン」の報告

 ベトナムホーチミン市内もかなり暑いです。バイクが縦横無尽に走っています。信号機がないため、道路を横断する時は、特に注意が必要です。

IMG_0467IMG_0429

 まず、「ジェトロベトナムホーチミンオフィス」で、ベトナムの経済や地域の概要、外食サービスの展開に必要な基礎的な事柄を教えていただきました。

 ご存じとは思いますが、ホーチミン市で活躍する外食サービスの日本人経営者は、信頼できるベトナム人パートナートを選び、手を組んでいます。レストラン・カフェ(ホテル内を除く)の路面展開は外資が認められてないのです。しかしながら、外資規制は、WTO公約で20151月以降、制限が原則撤廃されています(いるはずです→やや曖昧です)。ホーチミン市では、未だレストラン・カフェの前例はありません。

 IMG_0436

 ベトナム人が経営している和食レストラン「Takahiro Food sushi 北海道 sachi」、日本人経営の「菊の華」、現地のパートナーである「&D マネジメントパートナーズ」の代表者とお会いし、ホーチミン市に出展する場合の問題点など事例を交えたお話をお伺いした後、「ベトナムホーチミン居酒屋しょうきホーチミン店」で、「菊の華」、「炉端ダイニングあん」「ジャックグループ」、「IT経営者」等々の代表者の方々を交えて、意見交換会を行いました。なかなか聞けないお話もお伺いしましたよ。皆さん、お忙しい中ありがとうございました。

 IMG_0447IMG_0489

最終日は、イオンベトナム事務所をお伺いし、既に稼働している1号店・2号店の概要とともにベトナムホーチミン3号店の計画についてお伺いしたのち、1号店を視察してきました。IMG_0522IMG_0523

  

  今回の海外視察は,ややハードな視察となり、参加者の方々は、さぞやお疲れであったろうと思います。しかし、それ故,外食サービスを海外展開する上でのノウハウや海外での確かな人脈づくりとなど、ご自身の目で確かめて,先人たちの意見を聞いて、触れて実感できる中身が濃い視察となったと思います。

IMG_0531

ご参加いただいた皆様のベトナム/カンボジアでの海外展開を期待いたします。