グローバルヤンキーは地方を救う!? ~上海でわしも考えた~

IMG_3783

観光地としてもどんどん洗練されていく国際都市・上海

・過疎から地方創生へ

地方創生の話題は一体いつ頃から取り上げられていたのだろう。実は今に始まった話ではない。地方創生は言い換えれば過疎問題の解決でもあろう。過疎という言葉は1966年に、経済審議会の中で初めて公式に使われたらしい。つまり、半世紀も前から課題は分かっていたのである。そして今更“地方創生”である。この事態をどうとらえたら良いのか。50年間手を尽くしてきたが、どうにもならなかった。そういうことなのだろうか。それとも今まで本気で取り組んでなかったが、今年からは本気で取り組むから大丈夫なのか。だれを責めても仕方の無いことであるが、現状を見る限り地方の衰退は止まる所を知らない。

一方で大きな産業構造の変化と人口の流れを世界的に見ていくと、実は工業・製造業を中心とする第2次産業から、サービス業・情報産業などの第3次産業へ産業の中心がシフトしていく中で、人口は都市への一極集中から、地方への分散が進むと言うデータもあるようだ。この局面においては、より大きな価値を生み出すものは、工場などの製造拠点を中心とした物的不動産的資本から、形のない情報や優秀な人材が集まる大学・研究所などの人的・動的資源へと変化する。そして、データがクラウド化して分散されたように、人々も都市情報も分散化していくのだ。

ヨーロッパや北米などでは既にそのような段階に達した都市があるように見える。シアトルやバンクーバー、ストックホルムやヘルシンキ等、人口規模ではせいぜい数十万人から100万人程度の都市でも極めてグローバルな影響力を持つ都市が多く存在する。デンマークのオーフスやエストニアのタリン、スペインのビルバオ等も今後ますます注目される都市だろうが、アジアの大都市のように極端な人口集中が無くても、産業と都市の発展が成り立つようになる。

この観点からすれば、日本も産業構造のシフトが順調に推移すれば、ある程度の規模と住みよい環境が整っていれば、地方への人口移転が進むかもしれない。もちろん、少子高齢化の勢いは当面は収まらないため、表面上は人口減少が進むことになるかもしれないが。

いずれにしても産業構造の速やかで効果的な変化が重要なポイントとなる。

・ヤンキーとエリート

ヤンキーと聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。僕自身はそれほどヤンキー度は高くないけれど、ヤンキー的な友達はいた。そんな一般庶民の僕にとって、この言葉にはすこし侮蔑的な意味合いもある気がする。ヤンキーを取り上げた書籍も何冊か読んだが、その多くはどちらかというとマイナスイメージが主調となっている。しかしそんな一方で、ヤンキーと呼ばれる様な人々が、主にローカルで生活をしている実態からか、最終的には極めて家庭的でしかも、地域貢献的な社会生活を営むようになる場面を良く見るようになった。例えば意外に地方の祭りに主体的に参加し、それを維持していたり、青年団や消防団などで活動していたりもする。

一方でエリートはどうだろうか。最も進んだエリートはグローバルエリートとも言えるだろう。彼らは地方どころか、国にも関わりなく活動する。海外の一流大学を卒業しMBAなどを取得。当然日本での活動は東京が中心であるが、世界中を股にかけて活動する。その結果、生まれ故郷に帰ることはほとんど無くなる。つまり一般的には優秀であるほど、地方から中央、中央から世界へと活動の場を広げていくため、最終的にはなかなか地方に優秀な人材が残らず、益々地方の人材リソースが乏しくなるわけである。このこと事態はある程度仕方の無いルールかもしれない。(福岡などの地方都市に残る一部のエリートは医者か弁護士、一部の公務員か電力、交通、マスコミ等の公共インフラ業界などに限られるのが実態だ)しかし地方人としては何かしら希望が欲しい。そんな時、僕がこの福岡の地方都市で回りを見渡しつつ、また上海を訪れたときに一条の希望の光が見えた。それが“グローバルヤンキー”の隆盛だ。

・グローバルヤンキー

それではグローバルヤンキーとは何者か?この言葉は僕が勝手に作ったものなので、(既にどなたかが使われていたら申し訳ないが盗用で無いことは一応お断りしておきます)定義も僕が勝手にやれば良いだけなのだが、多くの場合彼らは、一流大学卒のエリートではないかもしれない。一流大卒でもトップクラスではないだろう。しかし地場の大学ではそれなりに活動的で優秀な場合もあるだろう。もちろん大卒である必要は全くない。最も重要な要素は、飲み会大好き。これにつきる。これは言い換えれば仲間意識の醸成やネットワーキングが得意であり、遊び心に長けているとも言える。飲み会好きや仲間意識が向かう場所は祭りであり、祭りは地域に繫がる。ノーマルヤンキーとの違いは、外国語が出来て、それ以上に異邦人とのコミュニケーション力に長けていることだ。彼らは人付き合いが得意なため、エリート以上に人的ネットワークが広い傾向があり、特に地場ネットワークに強い。海外においても勢いやノリでグイグイ社会に入って行けるので、語学能力はエリートに及ばずとも突破力に優れる。もちろん、ヘッドライトを高くしたバイクや車高を低くした高級車に乗って爆音を響かせ、集団走行した経験は必須ではない。

福岡の経済は9割以上が第3次産業で、ある意味、都市としては新たな段階に到達しており、今後のステップアップが期待出来る一方で、グローバルエリートの活動出来る場はほとんど無い。しかし屋台や安価で美味い居酒屋など、充実した食文化や天性の祭り好きのDNAが溢れており、人が集い楽しみながら生活する場としてはかなり充実している。そんなところで活躍するのが“グローバルヤンキー”なのだ。

 ・無法地帯、上海メトロポリタンのパワー

名実ともにメトロポリスとなった上海

名実ともにメトロポリスとなった上海

なんで、今回上海がテーマでこんな事を思いついたのか。それは今まで色んな場面で目にして話を聞いた人々、特にチャレンジングな方々の生き方を知るにつけ、徐々に考えるようになったのだが、上海に行って特にその思いを強くしたからだ。10年振りくらいの上海ではあったが、街の様子自体は思った通りの変わりようであり、業務上、上海の情報は相当に入ってきてはいたので、驚きと言うほどではなかった。

今や上海人は地下鉄でもきちんと整列するよう、教育されている!

今や上海人は地下鉄でもきちんと整列するよう、教育されている!

すでに上海はある意味で中国であって、中国でない。いくつか印象を挙げるとすれば、つまりいわゆるメトロポリスとなり、その住民も多くが都市住民・メトロポリタン化していること。例えばこの地下鉄の写真の様に列に並ぶと言う都市市民のマナーも守れる様になって来ているし、おそらく都市住民に限って言えば、もうしばらくすると日本人とも区別がつかない位になるだろう。また、日本や西欧の日曜品が一定のブランド力を持って街に溢れていることも、確認出来た。例えば様々な日本茶を飲ませるカフェなどもあり、ある意味日本でも見たことがないような日本食文化が発展してきている。つまり多様な文化が混じり合い発展するグローバルなメトロポリスである。

現地でもありがたく販売される日本製日曜品

現地でもありがたく販売される日本製日曜品

彼ら都市市民は、既に住居や高級車、大型テレビやパソコンなどの家庭用品・贅沢品は十分過ぎるほど手に入れ、今や日常生活に使う消耗品などの質の向上を求める様になったため、安全で美味しい食品はもちろんのこと、日本や欧米で使われ、洗練されてきた紙おむつやトイレットペーパー、洗剤や歯磨きと言った本当の日曜品を求めているのだ。

さらなるビジネスチャンスを求め、日系百貨店の中にも日本館が

さらなるビジネスチャンスを求め、日系百貨店の中にも日本館が

またある意味で日本より相当に自由な部分があること。これは、少し意外な所だったのだが、上海は今あらゆるサービス産業の巨大な実験場になっているようで、例えばタクシー配車アプリや出前注文アプリなど、スマホを使った新ビジネスがどんどん生まれているらしい。これは日本であれば、様々な役所が厳しく規制しており、なかなか進めるのが難しい分野もあるのだが、この街では、とりあえず何でも思いついたらやらせてみて、都合が悪ければ取り締まるといった、ある意味奔放さがあり、そんな中でしのぎを削るため、その内容がどんどん高度化してきているらしいのだ。ネット通販の異常なまでの充実や乱立する同種サービスは、市場としての巨大な人口とあらゆる人材、そして何でもやってかます大胆な勢い。こんな環境で立ち上がってきたサービスの威力は半端なく強力であろう。

「暖いこころ」で多様な日本茶が供されるカフェ

「暖いこころ」で多様な日本茶が供されるカフェ

 

そして何人かの人々から聞いたことだが、このような奔放さや勢いは、実は欧米にも共通する部分であって、逆に日本だけが極めて、規制でがんじがらめ、ガチガチで何も出来ない“拘束都市”になっていると言う。つまり日本が異常なほどに特殊と言うわけだ。これは日本だけを見ていると気づきにくい部分である。

一気に普及した電気バイクは無音で、あらゆる方向から迫り来るのだ

一気に普及した電気バイクは無音で、あらゆる方向から迫り来るのだ

 ・地方から中国、アジアそして世界へ ~救世主現る~

こんなダイナミックに変貌していく世界最大の国家、中国の中心都市上海だが、こんなところで何かを成し遂げるのに必要な要素はなんだろうか。もはや理性や知性だけでは太刀打ち出来ない。冷静に考えているとやる気が失せてしまうのだ。必要なのは、ある意味、馬鹿な無鉄砲さであり、思い切りであり、リスクテイキング・チャレンジである。冷徹な知能に基づく計算も追いつかないほどに、社会状況は複雑で環境は日々変化してしるのだ。僕が出合った“グローバルヤンキー”な方々は皆、「よくやるよなあ、こんな所で、そんな事を!」と思えるような、思い切った決断をする冒険者達であり、魅力的で、活き活きと仕事と人生を謳歌している人々だ。その中でも強者達は、見込み薄とも思える起業にチャレンジし新天地に赴く。冷徹で頭の良いグローバルエリートが手を出さない所にまで入り込んで、泥臭い仕事もこなしつつ、バイタリティーで突き進む、そんな地方発“グローバルヤンキー”の世界での活躍に僕は期待しているし、応援していかなくちゃならない。だから今後政府や地方自治体は、大企業に就職出来るようなエリート人材への応援以上に(彼らは放っておいても自分たちで上手くやれるのだ)、それより少し下のレベルの“グローバルヤンキー”を大事に育てて支援する施策を打っていくことこそが、地方都市がグローバル都市に飛躍する推進力となる現実的な処方箋なのではなかろうか。つまり、

地方創生の救世主はグローバルヤンキーなのだ!(あえて言い切って見ました。)

福岡貿易会K.Y.